フランチェスコ・トッティは、イタリア・ラツィオ州ローマ県ローマ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 約25年間に亘ってASローマ一筋でプレーしたワン・クラブ・マンであり、同クラブの歴代通算最多得点および歴代通算最多出場の記録を持つ。 生年月日: 1976年9月27日
名言
ロマニスタとしてこの街に生まれ、ロマニスタとしてこのクラブで育った俺にとっては素晴らしいキャリアだと思う。ここまでのキャリアを一言で表現するなら「幸せ」だよ。
どのスポーツにも言えることだろうけど、タイトルは何にも勝る重要事項だ。「結果がすべて」とは言いたく部分もあるけど、結果を出したチームが一番強いということさ。
ファンは俺たちに大きな情熱を吹き込んでくれる。少々感傷的な言い方かもしれないけど、ロマニスタの尽きぬ愛情なくして、ローマの躍進を語ることはできない。
フロントが適切な補強をしてくれなければ、コンスタントに強いチームなんかできるはず
大きな予算を持っているチームは良い選手を獲得することができる。そして良い選手がいるチームは強い。単純な理屈だけど、真理でもある。
カッサーノはかなりの才能を無駄にしてしまった。能力の30%程度しか発揮することができなかったと思う。それでもアントニオはナンバーワンの選手。技術的な面において、誰よりも私を楽しませてくれた選手だった。彼となら目をつむったままでもプレーできた
当時の10番はフィーゴだった? 私はあそこ(レアル)に移籍するため、あらゆることを与えられようとしていた。あらゆることを、ね。ただ、それはキャプテンの座以外だった。なぜならば、あそこにはラウールがいたからだ。ラウールは誰よりも権利を持つべき選手だった。彼はレアル・マドリーのキャプテン、象徴であり、誰よりも権利を持っていなくてはいけなかった。どんな選手であっても、手にするものはラウール以下でなくてはいけなかったんだよ
サッカークラブは時の流れに逆らってはいけないのさ。懐古主義にひたって時代に乗り遅れるようでは、タイトルなんて永遠に手に入らない。そんなのは嫌だよ。
移籍する可能性は80%あったんだ。決断は、自分の心でもって決められた。ファン、友人、家族のことを考えて決めたんだ。私はほかの選手たちが常々行ってきたことと違うことをした。多くの選手がマドリー、バルセロナ、バイエルン・ミュンヘンに移籍していったが、自分は残留することで、ほかとは違うのだと感じたのさ。僕は良い選手だったが、加えてずっと同じユニフォームを着ている選手としても、ほかと違ったんだ
「勝者のメンタリティ」は簡単に手に入るものではないよ。まずは勝たないといけない。そして、何年か連続してスクデットを手にすれば、自然に「勝者のメンタリティを備えている」と言われるようになるものさ
引退の時期について考えるようなことはしたくない。自分の体が「もう無理だ!」と言ってきたら、その時に現役引退を考えるよ。少なくとも、今の俺はまだ引退のことは考えていないということさ。
俺にとって重要なのは勝てるサッカーをすることだ。基本的には、美しいサッカーをしていれば勝てるものだと思う。ただ、シーズンを通じて勝ち点を積み重ね、スクデット獲得に至るまでには、コンスタントに結果を出す必要がある。ケガ人や出場停止で主力を欠いたり、劣悪なピッチでプレーする羽目になったり、過密日程だったり……。長いシーズンには様々な状況下での戦いを強いられる。美しいサッカーができない時にも、勝ち点を取れるような強さは備えなければならない。ローマに今後求められるのはその点だろうな。
ノールックでのダイレクトパスやヒールキックをやる選手はあまりいなくなったと思う。個性的な選手は減ったと思う。そういうプレーをするのが簡単じゃないことは理解しているけど、見たいのは事実だね
資金がなければ強いチームは作れないということだろう。名前だけでは勝てないということさ。
なら、俺が今でもこの仕事を愛しているということ。俺は物事がついた頃からボールを蹴るのが大好きだった。その気持ちは消えていない。今でも廊下にボールが転がっていたら、素通りはできないんだ。もうちょっと真面目に言えば、若い頃からずっと真剣に練習に取り組んできたということだ。今でもトレーニングはしっかりやっている。まあ、やりすぎて体を壊さないような気遣いが必要な年齢になったから、昔ほどハードワークをするわけじゃないけどね
絶対的なナンバーワンといえば、マラドーナだった。これはサッカーの歴史を振り返って客観的な考えを話した場合のことだね。自分にとってのナンバーワンは、ブラジル代表ストライカーだった怪物ロナウドだ。あれはすごかったね。まあ、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドについては話すまでもないだろう?
ここ数か月、なんでこの物語から目を覚まされなければならないのかと自問してきた。まるで良い夢を見ながら寝ている子供のようだった。そして母が学校に行くように起こしに来た。僕は夢を見ていたい、もう一度夢を見ようと思っていても、できない。これはもう夢ではなく、現実だ。そして僕はもう二度と戻ることはない...
このユニフォームを脱ぐ時が来た。もしかしたらまだ辞めないと言うかもしれないが、たぶんそれはないだろう。今は何も語れないかもしれないが、これは思った以上に簡単ではなかった。今はとても怖い気分だ。ペナルティーキックを蹴る前の恐怖とは違う。全く先の見えない穴に飛び込むような気分だ。だから今はみんなの支えを必要としている。みんなの愛情があれば、ページをめくって、新しい冒険に飛び込むことができるはずだ。
この28年間を短く語ろうと思ってもできることではない。何年もかけてこの脚で自分自身の存在意義を証明してきた。少年時代、何が一番お気に入りのおもちゃだったかわかるかい? もちろんフットボールだ。それは今も変わらない。
2001年6月17日から時が経つのが速かったように感じる。あの時は主審が試合終了のホイッスルを鳴らすのを待ちきれなかった。そのことを思い出すだけで、今でも鳥肌が立ってしまう。今、時間が僕の肩を叩き、“成長する時が来た。明日になれば君は大人だ。その服と靴を脱いで、今日からスタートを切ろう。君はもう大人だ。もう芝生の上でも、太陽の光も、相手からゴールを奪う喜びも感じられない。お祝いの時だ”と言っている。
サッカーは僕にとって楽しみでありショーなんだ だから難しいことでもやってのけられるんだ
俺はローマ人として生まれ、ローマ人として死ぬ。この街を離れる気はないね。