アキーム・アブドゥル・オラジュワンは、ナイジェリア・ラゴス出身の元バスケットボール選手。NBAのヒューストン・ロケッツを中心に活躍した。 身長213cmの体格に似つかわしくない、俊敏な動きと繊細な技術をもち、歴代屈指のセンタープレイヤーと評されている。 生年月日: 1963年1月21日
名言
ペイントエリアは退屈な場所だった。
私はいつもこう考えていた。私はビッグマンの体を持ったガードなのだと。だからゲイリーのことをすごく尊敬していたのかもしれない。彼は常にガード以上のものになろうとしていたし、私も常に典型的なセンター以上のものになろうとしていた。
私にはあまり選択肢がなかったのだ。センターがどのようにプレイすべきかなんて、誰も教えてくれなかった。私が初めてアメリカに来たのは18歳の時。その当時の私は、NBAの試合を見たことがなかった。ただの一度もだ。カレッジでプレイするため、ナイジェリアからテキサス州のヒューストンに移住した頃、NBA選手など誰一人として知らなかった。そもそも私が人生で初めてバスケットボールに触れたのはその1年前、17歳の時だ。その頃の私のフットワークは、サッカー選手に近かった。
今思い返してみれば、バスケットボールに関して無知だったことは、私にとってプラスになったと思う。バスケットボールに対する先入観がまるでなかった。「センターポジションをプレイしろ」、コーチは私にそう言ったが、その意味が分からなかった。ポジションが5つあることは知っていたが、センターとスモールフォワードの違いが上手く説明できなかったのだ。
私はペイントエリアにいるのが嫌だった。ガードたちのプレイを見て、彼らの自由さにインスパイアされてしまったんだ。
今でも現役を続けられていたなら、どれほど良かったか。
ビッグマンのドリルだけで満足したくなかった。だからドリブルやミドルレンジショットの練習を重ねた。
動きの遅いディフェンダーが相手なら、縄張りの外まで引きずり出す。そうすれば簡単にジャンプショットを狙えるし、もしくはクロスオーバーで抜いてリムを攻められる。反対にサイズの小さなディフェンダーの場合は、素早くインサイドでポジションを取って、ポストアップするだけだ。
シャックはまさに怪物だった。ポストでポジションを取られれば、それで終了。私は審判に向かって常に叫んでいたよ、「3秒だ、3秒バイオレーション!動いていない!」とね。シャックほどのサイズとスキルを兼ね備えた選手は2度と現れないだろう。
ムトンボは理想的なセンターであり、ビッグマンの模範だった。ゴール下は彼のテリトリーであり、私は彼がどのようにヘルプサイドでブロックを決めているのかをよく研究したものだ。彼のおかげで私は成長できた。
パトリック・ユーイングはペイントエリアで対峙するのが最も難しい選手の一人だった。彼が相手の試合では、48分間を通して休む暇が少しもない。私はパトリックを大いに尊敬している。
デビッド・ロビンソンは私が知る中で最もクイックなビッグマンだ。「俊敏」や「跳ねる」という言葉を連想させる。デビッドは走れるビッグマンだった。とてもクイックかつ柔軟で、おまけにハードワーカーだった。
ヤオ・ミンもまたユニークなポストプレイヤーだった。彼とは一度も対戦していないが、ヒューストンでワークアウトする機会があった。ワークアウトの初日、まず彼は私のムーブを披露してくれた。一つずつ順番に。私の動きを研究していたそうだ。ヤオのシューティングタッチはとてもソフトで、彼のフットワークは私が知るビッグマンの中でも最高のレベルだったよ。
MJはビッグマンではないが、何でもこなせる男だった。ローポストでのマイケルはまさに天才的。まずジャンプしてから、空中で次のプレイを選択する。彼は本当にそんなことができたのだ。ブルズと対戦する時は、MJがローポストでドリブルを突いた瞬間にダブル/トリプルチームを仕掛けていた。マイケルのポストでのパスセンスはもっと評価されるべきだろう。
スモールボールのせいでビッグマンが絶滅することはない。ただポジションに関する古い考え方が消滅するだけだ。
「支配的なビッグマンの時代は終わったのか?」、こんな質問を投げかけられることがある。スモールボールの流行により、NBAはシューティングガードが支配するリーグになると思っているらしい。だがステフ(カリー)やクレイ(トンプソン)のようなシャープシューターだけに目を向けてしまうと、全体像が見えなくなる。ステフやクレイが特別なだけであって、決して標準ではない。スモールボールによりガード選手たちがスターになれる機会が増えたのは確かだが、私の中で最も大きな違いは、「ビッグマンが典型的な役割から解放された」という部分だ。ビッグマンがペイントエリアに閉じ込められる時代は終わった。