大悟は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優。お笑いコンビ・千鳥のボケ。相方はノブ。 本名は山本 大悟。岡山県笠岡市北木島出身。吉本興業所属。NSC大阪校21期と同期扱い。生年月日1980年3月25日
名言
僕は、小学校6年生の頃には、吉本に入るって思っていました。
岡山県の北木島で生まれて、周りには娯楽がなんにもないんですけど、年にいっぺんの楽しみというのが、島の神社で行われる夏祭りで。そこに来ていた吉本の芸人さんを見て、「自分あっち側に行きたい!」と思ったのがきっかけですね。
周りはどうあれ、やっぱり自分たちは自分たちのお笑いをするしかないっていうことですよね。人の真似をしてもしょうがないし。
2人があまり変わらなかったというか、自分たちを曲げたり変えたりしなかったのがよかったんかもしれないです。
今、仕事がたくさんあるというのはありがたいことなんですけどね。「芸人になったのに、なんでワシこんな早起きしてんねやろ」って思ったりもするんですよ。なので、もっと朝を考えずに飲める状況と、毎日寿司を食べられる財力を手に入れたいなと。
北木島にはバスやタクシーはおろか信号機もありません。だから小学校では信号を渡る授業がありました。店なんてほとんどないし、もちろんコンビニもありません。自動販売機が置かれたときには行列ができたほどです。だから、自分の晩ごはんは自分で魚を取ってきて食べるのが普通でした。まさに自給自足ですね。
修学旅行の宿泊先のホテルで、エレベーターを初めて見たとき、それが珍しくて外にもいかず、ずっとエレベーターに乗っていました。
「漫才師が来た」ではなく、「大漫才師が来た」と言われるようにいつかなりたいなと。
「大悟さんって何で飯を食っているんですか?」と聞かれたときに、もしかしたら「漫才」と言わずに「テレビ」と答えてしまうかもしれない。「漫才」って言った時に大漫才師に変わっているのかなと。大悟がネクタイしてないようじゃ、まだ大漫才師ではない。
漫才がきっちりする反面、遊びの部分がなくなるかもしれないので、今のやり方が一番合っているのかなと思います。
ノブもワシがなんて言うんだろうと思っているやろうし、その楽しみはあるかもしれません。
大喜利ライブがめちゃめちゃ楽しくて、結局俺らはお客さんの前でやるものの方がうれしいんだなと。お客さんの前で笑い声を聞いてやらないとダメだなと本当に思いました。
いろいろやらせてもらっていますが、一番自由度が高いのは漫才。スベったら2人の責任というだけなので、センターマイクという柱の周りを2人で自由に走り回れる。
ずっと一緒なので、変わらないですかね。いまだに15歳のときのノブにも見えるというか、変わってないなと。
都会の人とは時間の感覚が違うので、皆さんにとっては不思議に思うかもしれませんが、「いかに何もしないで飯を食べるか」が島の過ごし方でした。
何もない島で育ったからこそ、そのすごさ(漫才師)を感じた。それで自分自身が頑張って、そういう存在になりたいと思いました。
何の音もない世界って想像できますか? 東京ってなにがしかの音があるじゃないですか。でも島では、人の声もしないし、車の音もない。何の機械音もない。都会の人にこういう話をすると、よくいいなぁって言いますよね。ただ、若い人は物足りなくなる。それでワシも島を出たのですが、出たからこそ、その良さがわかる部分があります。
都会の生活に疲れた人は、離島の人に触れ合ってみると、「人って、もともと悪い人なんて、ほとんどいないんだ」と気持ちが楽になると思います。
荷物は少ないほうがいいのよ、実は。旅行と一緒。荷物をいっぱい持って行ったら、不便ではないけれど、その旅は楽しくないやん。旅先で揃えるほうが不便だけど楽しい
悩んでる時間を楽しめば?
言わんとしゃーないからな。デートしている時に一番言わせちゃダメなのは、言いたくないセリフを言わすこと
嬉し涙は甘い、悔し涙は苦いと言う。本当かどうかわからないが、大人になると苦い食い物が旨く感じることがある。
みんなの声なんか聞いてたらおかしくなっちゃう。全部相手してたらしんどくなっちゃう
どっち選んでも間違いなんてないから、道とか決めてもらわなくてもいいんじゃない?
タバコは人生の句読点
手応えあったなんて思って帰ったことない。結局、何でもいいのよ
プレゼントもらったとき嬉しいやん。でも(プレゼントを)あげたときに喜んでくれたら、もらったときより嬉しくない?
高校の時とか子どもの時に戻って“人生やり直したい”っていう大人にはなりたくない
人生は戻れないし、戻らなくていい
死ぬときに横におる男を見つけようと思ってみ。『死ぬときに横におってくれたらこの人いいな』を死ぬまでに探しゃええ
いいねって言ってくれる人にだけ、そのまんまの自分を出せばいい