Charles Darwin
チャールズ・ダーウィン(1809年~1882年)
英国の自然科学者。種の形成理論を構築。
1809年2月12日、イングランドのシュロップシャー州の裕福な医師の家庭に次男として生まれる。
子どものころから博物学的趣味を好み、植物、貝殻、鉱物の収集を行っていた。
1825年、16歳のときにエディンバラ大学に入学して医学を学ぶ。しかしアカデミックな内容の退屈な講義になじめず、大学を中退。
父はダーウィンを牧師にするためにケンブリッジ大学神学部に入れる。ダーウィンは牧師なら空いた時間の多くを博物学に費やせると考え父の提案を喜んで受け入れた。
しかしダーウィンはケンブリッジ大学でも必修ではない博物学や昆虫採集に傾倒。
1831年、22歳で大学を卒業すると、恩師の紹介で英国海軍の測量船ビーグル号に乗船することになる。ダーウィンの任務は各地の地質、動植物の調査。
ビーグル号は1831年12月に英国を出航。南米、ガラパゴス諸島、ニュージーランド、オーストラリア、ケープタウンなどを経て、1836年10月に帰着。
ダーウィンはビーグル号での5年におよぶ調査から、種が独立して創られ、それ以来不変であるという考えに疑問を感じ、種の変化に関する研究を続ける。
1838年、29歳のダーウィンは「厳しい自然環境が、生物に起きる突然変異を選別し、進化に方向性を与える」という自然選択説に到達。その証拠を集めるため20年にわたり調査を継続する。
1858年、英国の生物学者アルフレッド・ウォレスから同じアイディアの小論を受け取ったことをきっかけに、二人の小論を共同発表。
翌年発表した『種の起源』において、すべての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、自然選択により進化したことを明らかにする。
ダーウィンの自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つであり、生物多様性に一貫した理論的説明を与えている
名言
A man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life.
一時間の浪費をなんとも思わない人は、人生の価値をまだ発見してはいない。
It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.
生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。
Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge: it is those who know little, not those who know much, who so positively assert that this or that problem will never be solved by science.
無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。科学によってこれやあれやの問題を解決することは絶対にできないと主張するのはきまって知識がない人である。
I love fools’ experiments. I am always making them.
愚者の実験が好きで、私は常にそれを行っている。
A scientific man ought to have no wishes, no affections, – a mere heart of stone.
科学者は希望や愛情を捨てて、石の心を持つべきだ。
An American Monkey after getting drunk on Brandy would never touch it again, and thus is much wiser than most men.
ブランデーを飲んで酔っ払ったことのあるアメリカザルは、もう二度とそれに手をつけようとはしない。人間よりはるかに頭がいいということだ。
I am not the least afraid to die.
死ぬことは、ちっとも怖くない。