松井 秀喜は、石川県能美郡根上町出身の元プロ野球選手。右投左打。現役引退後はニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーを務める。血液型はO型。愛称は「ゴジラ」または「ゴジラ松井」。 生年月日: 1974年6月12日
名言
苦しみや辛さこそが生きている証ではないでしょうか。今、自分がすべきことは何なのかを正確に受け入れ、それを補う努力をしていくしかないと思っています
人生とは幸と不幸が交互にやってきます。だから、僕は「人間万事、塞扇が馬」ということわざが好きなんです
ヤンキースの一員として初めてヤンキー・スタジアムでプレーした日のこと、そしてヤンキースの選手として最後にヤンキー・スタジアムでプレーした日のことは、おそらく一生忘れることなく、僕の心の中にずっとあり続けるとおもいます。
神様は楽をしている人、楽をしていい結果を残そうとしている人、投げやりになっている人には、最終的には微笑まないと思います
どういうことを言われても自分のプレースタイルは変えられません
現役の頃は、身体を常にいい状態に保ちながら毎日を過ごさなければいけませんでした。生活はだいぶ変わりましたが、引退したときには身体もあちこちに痛みが出ていましたし、やり切ったという思いがあったから、あまり寂しさはありませんでした。引退と同時に長男が生まれたので、気持ちを切り替えやすかったということもありますが。
僕の活躍を楽しみにしてくれる人がいる。それがどれほど力になるか
誇りを持つ人が多い組織ほど、ここぞという場面で強いような気がします
自分を信じてプレーする以外ない
どんな道でも進んでいけば嫌なことはいっぱいあります。それでも逃げないことだと思います
ヤンキースを引退して7年になります。ニューヨークに暮らし始めてから16年、思えば長い月日が過ぎました。日本に帰国するのは平均すると年に2、3回というところでしょうか。東京の自宅は数年前に引き払ってしまいましたから、今は帰るというより仕事の出張です。とはいえ東京でホテルに泊まるのは、なんとなく違和感があります。長年住み慣れた自分の街という感覚が、まだ残っているのかもしれません。
現役時代と今の暮らしの大きな違いは、規則正しい生活ができるということですね。
人生も野球も、失敗そして後悔の連続です
受け入れることは勇気が要ることです。正直言えば辛い。辛いのだけれど置かれた状況やありのままの姿を受け入れなければ前に進めないし、問題も解決しません。
困難に直面したとき「今、自分にできることは何か」と自問します。悔やみ、落ち込むしかないのでしょうか。多くの場合、そんなことはありません。きっと前に進める選択肢があるはずです
王さんのように1シーズンで55本打てるようなバッターを目指せと背番号『55』をいただきました。
ヤンキースからは今も野球に関わる仕事をさせていただき、感謝しています。
どんな技術やパワーよりも逆境に強い力を持った選手になりたい
野球というスポーツは、3割を打てば一流選手になります。つまり、一流選手でも、残りの7割は凡打しているわけです。僕は、この7割の失敗をずっと生かそうとしてきました
ジャイアンツで長嶋監督に出会い、日々、毎日のようにですね、二人きりで指導していただき、その日々がその後の僕の野球人生にとって本当に大きな礎になったと思います。
高校時代もジャイアンツにいた頃も走って、自分でスイングして自分のバッティングを作ってきた。必ずその過程を踏まなくちゃ、自分のいいものは出せない
長嶋監督には感謝してもし尽くせないくらいの気持ちでいっぱいです。
打てないボールは、打たなくていいという諦めを持つには勇気が要ります
大事な試合で打てるのは、運というか、星というか、偶然ではないものを感じます。だから、僕は神様の存在を信じちゃうんです
あこがれのヤンキースのユニフォームに袖を通して、7年間もプレーできたということは、僕にとっては本当に最高の出来事であったし、また最高に幸せな日々でした。
昔と比べると、今の選手はデータと映像をすごく重視しますね。僕らの時代は、もう少し感覚的なことを大切にしていた気がします。長嶋さんは音で指導されてました。僕に素振りをさせて、音を聞きながら一振りごとに全部「今のはいい」「今のはダメ」と言う。自分で聞いても音の違いなんてわからないから、半信半疑でした。でも、質問なんてできない。19歳、20歳頃ですから。ひたすらバットを振り続けるだけ。
僕は変化というのは自分からは求めていません。求めていかなくても変わるところは変わっていくでしょうし。こっちのやり方がダメならあっちの方という考えはないんです
個人記録というのは全く考えませんね。皆さんが話題にされるのは分かりますが、自分が関心を持つことはない
次の仕事も必要かもしれないけれど、自分にそのエネルギーが湧いてこないことにはどうしようもない
大型契約で強い責任を感じております。それが、ぼくの力に変わると思っていますし、100%の力を出す自信はあります
命がけでプレーし、メジャーという場で力を発揮するという気持ちでこの10年間やってきました
自分でもいつか采配を振るいたいんじゃないかという質問を受けることがよくありますが、今のところ興味がわかない、というのが本音です。自分にその情熱がわいてくるかどうか、それが正直わからないんです。そういうものがわいてこないと、前向きにはなれない。
20年間、本当にたくさんのファンの方に応援していただき、それが僕の大きなチカラになりました。そして素晴らしい指導者の方と出会い、素晴らしいチームメイトと一緒にプレーすることが出来たことは、僕にとってはおそらく一番大きな誇りなんじゃないかなと思います。
それぞれ信じた道を歩むのがいいと思います。
全ては実力次第
ジャイアンツの4番を任せていただけるようになり、誇りと責任をもって毎日プレーしました。ただ、その過程にはいつも長嶋監督の指導がありました。毎日、毎日、二人きりで練習に付き合っていただき、ジャイアンツの4番バッターに必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々がその後の10年間、アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。そのご恩は生涯忘れることはありません。
生きる力とは成功し続ける力ではなく失敗や困難を乗り越える力