ケンドーコバヤシ, 芸人 | 言葉と人生

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運を拾うしかない ケンドーコバヤシ

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ケンドーコバヤシは、日本のお笑いタレント。本名および旧芸名は小林 友治。愛称はケンコバ、コバ、Mr.やりたい放題。 吉本興業東京本社所属。吉本総合芸能学院 大阪校11期生。身長172cm、体重77kg、血液型O型。 大阪府大阪市東住吉区出身。大阪市立東田辺小学校→大阪市立中野中学校→初芝富田林高等学校卒業。 生年月日: 1972年7月4日

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「同期には陣内智則、中川家、たむらけんじ、ユウキロックらがいましたが、回りを見渡しても自分には自信がありましたね。『自分の方が面白い』『行けそうだ』という感覚はなんとなく持っていましたから。ただ『それだけで生き残れる世界でもないだろう』ということはよく分かっていたので、『芸人なんて、いつまでできるんだろうか』と半ば冷めた感じで若手時代を過ごしてました。『まあ、行けるところまで行ってみて、もしダメだったら、諦めて肉体労働でも何でもしながら食っていこう』と割り切っていた。だから、人生について真剣に考えるようになったのは30歳代に入ってからです」

芸人の世界は、20代で食える人ってほぼいないんですよね。だけど、未だに戻りたいです。あの頃は、「無茶苦茶してやる」って気持ちで、目も釣りあがってたと思うんです。20代のときだから自分もそれで怖くなかったし、「楽しかったな」って記憶がすごくあります。30代になったくらいから、「ちょっと待て」とやっと思えるようになりましたね。

ちょうど昔の自分と同じような20代が出てきて、爪痕残そうとするわけじゃないですか。今は、そういうときの司会者の冷や汗とかも見えてくるわけですよ。「なるほど俺はこんなに迷惑なやつだったのか」と

10年間も迷惑をかけながらやってたんだ、ってやっと思えるようになったんですよね。不思議と30代から飯も食えるようになってきて、40代になって上の人の仕事をじーっと見て、「自分がやってない仕事をいっぱいやってるんだな」って、やっと人のことを手本として観察できるようになりました。

出川さんは今でこそ全世界的な評価ですけれど、僕らからしたら神みたいなもんですからね。出川さんと上島竜兵さんがいなかったら死人出てますよ。年末年始に体当たり系の仕事が増えるんですけれど、出川さんが怪我しないように注意すべきことを教えてくれるんです。「こう、受け身をとれ」って。

若手芸人ならば『1秒でも早く売れたい』と思うのが本音でしょう。でも僕は『ダメならダメで仕方がない』という冷めたスタンスだった。

「『もう、後戻りできる年齢ではない。やるしかない』と覚悟を決めました。これは月亭八方師匠の言葉ですが、『お笑い界で売れるためには、まずは本人に実力があるのが最低条件。そいつがさらに頑張って、運を拾うしかない』って言うんです。確かにそうだと思います。どんなに実力があっても、お笑いを辞めてゆく人間は掃いて捨てるほどいる。でも、実力がなく、運だけで勝ち残っていけるほど甘い世界ではない。それは今でも心に残っている言葉です。そう考えると、僕は運はつくづく良かった方だなと思います」

千原兄弟やバッファロー吾郎、FUJIWARAら多くの先輩たちが『面白い』と僕を引き上げてくれましたが、それも運が良かったからだと思っています。先輩が見ていたときに、たまたま僕が何か面白いネタをやっていたわけですから、やはり運が良かったとしか言いようがない。大阪時代には危うく吉本興業をクビになりかけたこともあります。ここではとても言えないような過激なネタを劇場でやっていたんですが、当時の吉本興業の社長が視察に来ていて、たまたま腹痛が起きたかなにかで僕の出番だけ見ることができなかったので助かったんです。もし、そのときに社長が僕のネタを見ていたら、当時の気風から言って、間違いなく僕はクビになっていたと思います。それも運の良さと言えるんじゃないでしょうか

本流には決して属したくないという生き方が好きですから

基本的には人を傷付けるのが好きではありません。逆に、自分が傷付くのは好きなんですけどね……。大切なのは基本的にウソをつかないことだと思います。ネタのなかではもちろん虚実入り乱れてはいますが、全くウソを話しているわけではありません

すごいなあという芸人は先輩に大勢おられるし、ああなりたいとも思います。でも、所詮、自分ではないですから。他人と自分とはやはり違います。僕がそのまま同じことをしても、ああなれるわけではありません

独身を貫くなんてこと、僕は昔から一度も思ったことありませんよ。だから良い相手がいたら、すぐに結婚すると思います

他人からどう見えるかと気にされたら、僕はなかなか厳しいですよ。でも、そんな考え方ってつまらないじゃないですか。僕が理解できないのは、日本の女性につくづく男を見る目がないこと。『草食男子』とか、『なんとか王子』とか、軟弱な男子がもてはやされる風潮には無性に腹が立ちます。こんな現象が起きているのは日本くらいじゃないですか

怒りって、いろんなことの原動力になるじゃないですか。怒りを発散するっていう意味での芸人としての魅力は減ったかもしれないけど、優しい人にはなりましたよ。僕は以前は、泣かない、泣けない人だったんですど、最近は映画館で嗚咽するくらいに泣いたりするようになりました。

僕が直接言われたわけではないんですけど、さんまさんが言うてはった、「どんなにタイミングの差があっても、おもしろい奴は続けている限り、あきらめない限り、ぜったいにいける」という趣旨の言葉には救われましたね。

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