マツコ・デラックスは、日本のコラムニスト、エッセイスト、女装タレント、司会者である。千葉県千葉市稲毛区出身。所属事務所はナチュラルエイト。血液型はA型。新聞のラテ欄やニュースサイトの見出し欄などでは、文字数制限の問題から「マツコDX」と表記されることがある。 生年月日: 1972年10月26日
名言
全ては手に入らないよ、成功してる分、そうじゃないものは手から逃げて行く、それは覚悟してないとダメ。ブランド物のバッグを持てる人は、それ以外のものを失うようにできてるの
幸せがなにかって考えだしたら、生きていくのが苦しくなるだけよ。完璧な幸福の下に生きている人なんていないですよ
楽しかろうが楽しくなかろうが何かに挑戦し続けてるって事が大事だってことが分かったの。
もちろん面白いことがすべてではないけど、世の中ってやっぱり面白かったり、引っ掛かりだったり、何かきっかけがないとね
自分の幸せに限界があることに気づいたの。
ありのままでいいっていう風潮は良くないと思うのよ。
嫌いは好きの裏返し。本当の嫌いはさようなら。
女の人が男になろうって無理をせずに、男と同じ権利が与えられる世の中にならないと、ほんとの平等じゃない。
男と女が分かり合えるなんて幻想ですよ。男と女どころか、個体と個体が分かり合うなんて幻想。だから私は感情は出すべきと思ってるのよ
ただ人の成功をねたんでいるだけでは、生きている価値がありません。そして、成功イコール幸せでもないもんよ。人生とは、えらく厄介なものですね。そう、自分が幸せかどうかは、自分で決めるしかないのよ。
人間には自由があり、そして節度があるのです。
視野を拡げるってね、どんな状況にあっても知りたいと思ったことから始まるんじゃない?まずそれがないのに視野を拡げるってことだけ言っててもどこにいようが何してようが一緒よ
賛沢をさせる必要はないけど、親の不仲が理由で子どもを寂しい気持ちにさせちゃダメ。
迷惑をかけてしまった人に謝るならわかるけど、なんで芸能人は全国民に向けて謝んなきゃいけないの?
面倒くさいことを回避しては絶対に生きてゆけないの。頑張って、面倒くさいことを。
若い子たちは自然に活用しながら生きているのも知ってるんだけど……。ネットメディアって新しい世代の人たちが、新しいことをして、つくっていってるメディアじゃない。だから、アタシみたいな古いオカマが無理して新しいものに合わせてしゃしゃり出るのも違うかな、って思いながら生きてる感じ。
誰もが良い夫、良い妻を見つけ社会的にも経済的にも安定しながら生活したいもの。その一方で奔放な生活、特に奔放な性生活も楽しみたいというのは両立しません。それは非常に図々しい話です。
同性愛者にだって異性愛者にだって、いい奴もいれば悪い奴もいる。同性愛だから自分を悪いなんて思っちゃ絶対にダメよ。同性愛者だから特別なことなんて何ひとつないの。同性愛者だからって劣っていることもなければ、かといって、同性愛者だからって優れていることもない。
勉強さえしてれば幸せになれるのかしら?将来をちゃんと考えているかが重要よ。
ゲイである以前に、アタシはアタシという個人なわけで、万能の民ではない。だから、やれることはものすごく小さくて、その中で生きてるわけ。だから、アタシは自分がゲイとかLGBTみたいなものを背負っているかのように見せてしまうことのほうが恐怖なんだよね。
テレビや新聞や雑誌が伝えていること=真実ではないんだけど、一時期「ネットでの民意が真実だ」みたいな流れになって、でもネットを活用している人たちには「それも違うよ」っていうのは言いたいんだよね。真実のメディアなんてものはこの世に存在していない、っていうことだけは理解していないと。
勉強さえしてれば幸せになれるのかしら?将来をちゃんと考えているかが重要よ。
生きる事は、辛いことの連続です。もっといろんな人に感謝して生きよっ。
あなたたちは年収とか数字でしか恋できないからね。
自分の理解できないことっていうのは恐怖じゃない? それをうまく理解させてあげられる人が優秀な人なんじゃないの?
「女の幸せの定義」なんてものはありません。もっといってしまえば、「幸せの定義」自体、存在しません。
SNSも含めたネットメディアには、民意や民衆を動かす力がある。ということは、情報操作をされた場合、テレビや新聞で民意を誘導しているのと変わらない、どころかそれよりもすごい現象が起きてしまう。だから、テレビや新聞といった既存の古いメディアだけじゃなくて、新しいメディアも含めて疑ってかからないとダメだよって思うんだけど。
意地張って生きて何が悪い。
アタシはゲイの中でもマイノリティで、マイノリティ・オブ・マイノリティみたいなもん。電波芸者として、化け物がテレビに出させていただいてるんですよ
アタシくらいはちょっと異論を唱えて、若い人でもちょっとでもそういう風に思ってくれる人が出ないと、って。みんながみんな「ネットって素晴らしい! 真実がある!」みたいになっちゃうのはちょっと違うかな、っていうのは前々からすごい感じてる。
アタシはテレビ側の人間として「テレビが正しくて、ネットが正しくない」ってことを言うつもりはないんだけど、「テレビも正しくないけど、ネットも正しくないんだよ」っていうのは言い続けないと。
ネットができて、今度はもう便利どころか、どんどん人間というものの限界を超えた力を手にしてしまった。きっとまた、それに合わせて人間は変わっていくんだろうし。それがたとえ人類崩壊につながったとしても、もうしょうがないじゃんっていう。崩壊するとは思わないけどね。
アタシはすごい中途半端な物書きのまま終わってテレビにシフトしちゃったけど、モノを書いている時以上に、その恐怖というものは感じるわけ。テレビの場合、相互性がないから今のところ一方通行にはなってしまうけど、例えばアタシがSNSをやっていろんな人と意見交換する場をつくったとしても、SNSで伝わるアタシのパーソナリティ以上に、アタシがテレビでいろんなことを言っていることで、ネットよりももっとすごい人数がアタシという人間を観察して、本人でも気付いていないような実相も見破られてるんだろうな、って感じることは多々ある。
たとえゲイであろうと、ヘテロであろうと、既婚者だろうが、独身だろうが、人間って生きづらいのが当然だと思ってる人なのよ。結婚したから孤独が解消されるかっていったら絶対ないし、血がつながってるから100%理解し合えるかっていったら、絶対そんなことない。自分自身が他者に100%理解してもらえることなんて、絶対にないって思ってるのね。だから、アタシが自分の体験を語ることって、実はそんなに意味がないと思ってる。
それよりは、たとえ表層的だったり他愛のない挨拶だけでもいいから、誰かと何かすること、言葉を交わすこと。人間って勝手に思い込むわけじゃん。例えば、ゲイじゃない人はゲイのことを勝手に想像してるし、アタシたちゲイだって、ノンケになったことないんだから、ノンケの人の気持ちなんてわかんない。国同士だってそうなんだよね。アタシたちは、どこでもいいけど中国とかアメリカとかロシアとかを勝手にそういう国だって思い込んでいて、思い込みの行き着いた先が戦争になるわけで。それよりは、たとえ表層的だったり他愛のない挨拶だけでもいいから、誰かと何かすること、言葉を交わすこと。
もちろん、一人でも多くの人に不快って思われないほうが人間は幸せになるんだけど。でも、アタシを「不快だ」って思ってくれていることも、好きだって思ってくれることと同じくらい、その人のことを実は気にしてくれてはいて、無関心よりはるかに良いと思っている。
お涙頂戴話によって何か心を動かされたものって、実はすごい諸刃の剣なの。いろんな人がいろんな風にその人を見て、もっと自由に考えてもらっていたら、そこで何か感情が生まれて、もしかしたら何か違う動きになるかもしれないという可能性を、とっても狭めてしまうことにもつながると思っているのよ。
アタシは誤解されようが、なんでもいい。
アタシ自身、ゲイとしてのプライドもあるから、「マツコさんがメディアに出ているとゲイが誤解される」って言っているような人をさらに誤解させてしまうことになるのが、本当に申し訳ないって思う。だから、そこはすごい注意してる。
真実のメディアなんてものはこの世に存在していない
私思ったの。常に新しいことをし続けてないと人間ってダメになっちゃうなって。
ダメだよ、何でも真実を探求したら。
コンプレックスは誰もが持っているものです。あなたとでも結婚してくれた夫がいるのであれば、どうしてその目の前にある幸せを幸せだと感じようとしないのですか?