三遊亭圓楽, 芸人, 落語 | 言葉と人生

偉人の名言

その時代に必要とされる人間でいたい 6代目三遊亭圓楽

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6代目 三遊亭 円楽は、日本の落語家。円楽一門会所属。2017年6月27日からは客員として落語芸術協会に加入し、2つの噺家団体で活動している。2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。 生年月日: 1950年2月8日

名言

「面倒くせぇから、弟子になっちゃえよ」
放送作家に憧れた大学時代、
5代目三遊亭圓楽師匠の言葉が、人生を変えた。
師匠を喜ばせたい。
修行中は、そのことだけを考えていた。

今、噺家を見ていると東京の噺家は、何の職業かわからない服装をしていますよ。若い子は学生なんだか、勤め人だか。

今は、落語というものに対する取り組み方が大きく変わったと感じます。私たちが始めた当時は頭の上に蓋をして重石を乗せられて手枷足枷がある感じだった。それくらい、うるさい人たちがたくさんいたってこと。落語はこうじゃなきゃいけない、落語家たるものはこうしちゃいけない、と、理論や形から入らなきゃいけなかった

私より少し下の世代は、蓋も重石も手枷足枷もないんです。自由闊達ですね。自分はこうなりたい。こういうやり方で行きたいと生き生きとやっている。今の人たちは頭もいいし、基本に忠実にならなくても理論なしでもどんどん口調を作り上げていく。師匠の鞄持ちを何年もやってやっと教えてもらえる、みたいなことじゃなく、DVDやCDが教えてくれるから。たどり着く先は同じだけれど、そこまでの道順が違うんだ。AIに近いような頭脳をもった落語家がどんどん現れてくるような気がするね。

師匠にも「おまえは要領がいい」って言われましたね。悪い意味じゃなくて。「打てば響くし、すぐにわかるし」って。下町の貧乏人のせがれってそうなんですよね。しかも次男坊でしょう。毎日が生き残りゲームなんですよ。悪く言えば、人の顔色を見る。よく言えば要領がいい。それは言われましたね。僕は団塊世代の最後だから「どうやって生き残ろうか」という世代でしょ、先輩たちを見ながら賢くなっていきますよね。話も合いますしね。

でもいいものは形変えて残っていくわけ。たとえば自分が作った「くすぐり」があって、それはもう誰が考えたのかわからないくらいいろんな人に流れていっている。一人に教えただけで、みんなに伝わっていくんですよ。

師匠から「卒業したらどうする?」と聞かれたので、「放送作家になりたいんですけど」と答えると、「どうだ、落語やってみないか」と。「面倒クセェからいっそ弟子になっちゃえよ」って言われたんです。その頃、師匠は「星の王子様」と呼ばれていたんです。で、つい「お願いします」と言っちゃったんです。だってあの、オーラで「弟子にならねぇか」って言われたら「嫌です」とは言えないですよね。

師匠からは「俺を喜ばせろ」と言われました。「俺一人を喜ばせればいい。お前の上司は俺だけだ。俺一人喜ばせられなければ、お客さんを喜ばせられない」と言われたんです。それからは真剣にどうすれば師匠が喜んでくれるかなぁと考えましたね。

チェーンスモーカーの師匠を面白がらせようと思って、台所にある徳用マッチをカバンに入れて、師匠がタバコに口をつけると、さっと徳用マッチを擦って火をつけるんです。周りの人が驚くんです。そうすると師匠が、「いやぁあたしね、タバコ吸いすぎて、小ちぇえマッチじゃ間に合わねぇんでね」。「私が持たせてんですよ。なぁ、それが二箱はいるよなぁ」とおっしゃるんです。それで帰りのタクシーの中で、「お前、あれどうしたんだい」と聞かれて、私が「いやぁ買ってきました」と言うと、300円とか500円をくれるんですよ。師匠というのはみんなの前で財布を出すの嫌でしょう。「おい、楽太郎、勘定」と言われて、「もう済んでます」と答えると「ちょっとお前、帰り、うちまで乗ってきな」「お前が払ったのか?」「たて替えときました」「生意気だねぇ、おまえは。だけど、よく金があったね」「えぇ、いろんなところでもって一生懸命貯めといたんです」と言うと、「無理しなくたっていいから、足りなかったらマネージャーに言ってもらっとけ」って。そういったことは褒めてくれました。褒められなかったのは芸のことだけでしたね。

すべてがなりゆきで、そのまま流されてうまくきちゃったんですね。師匠がこの世界へ誘ってくれて、噺家になって、二ツ目になって、わずか一年で師匠が笑点を譲ってくれて、ちょっと厳しい時期もあったけれども、師匠が卒業して歌丸師匠に代わって、何年か経って、段取りをつけて、襲名の半年前に向こうに行っちゃったわけですよ。師匠が私の人生を全部段取りしちゃったようなものです。本当は二人並んでみんなに祝ってもらって五代目、六代目が揃って口上をするはずだったんです。博多の会も、うちの師匠が命をもって宣伝してくれたおかげで東京・大阪の売れっ子たちが全部出てくれているんですよ。

「もう一回全部一緒になっちゃえばいいんですよ。上方落語協会があって、東京落語協会があって、その上に日本落語協会があればいいんです。ぜひ俺たちの目の黒いうちにやりましょ、といってあちこち火をつけて歩いてます」。僕なんか所属は一門なんだけど、業界は一つだっていう頭がある。過去の経緯はともかく、お客さんを増やすのが業界全体の発展に繋がるんだろうと思うんです。だったら、それこそ、東西一緒に日本全国、5人くらいのチームを5パターンくらい組んで、本州も北と南、四国、北海道、九州って組み替える。そんなことやったらきっと楽しいと思うんですよ。

売れるか売れないか、うまいか下手かはお客さんが決めますから。みんな客商売だってことを忘れてるんですよ。

仕事ってなんだって考えた時に、自分の仕事は落語だと思うんですよ。

笑点に出たことによって、本業でないことも頼まれますよ。でも私はしゃべる商売なら何をやってもいいんだと思っています。講演も、くるってことは評判がいいんだろうと思います。バラエティも呼ばれるようになる。出なくていいじゃないですかと言われたりもするんですけど、いや、噺家出てねぇじゃん、と。呼ばれりゃどこでも行って、それなりのことはできるし。落語家として出てるんだからそれでいいと思っています。

司会になれなかった円楽です

上の人たちがすごく素敵だからそれにずっとぶら下がっていくと、楽しいんですよ。喜んでくれるし。ところが、ふっとここにきて、ふと見ると、上がいないんです。正直言って、小言を言われる人いないでしょ。師匠もいないし。木久扇さんの小言なんて誰も聞かないしね。自分に小言を言ってくれる人がいなくなっちゃったんですよ。小言を言う奴はいっぱいいるんですけどね。本当は優しいんですよ。けむたがられてるんだろうな。ならそれでいいやと思ってね。一生懸命勉強すれば名人になれたんでしょうけど、そこにいかない自分がいるんですよ、いつも。いつも二番目みたいなところにいるんですけどね。でも、何かその業界でやるときに必要なポジション、必要な名前でいたいとは思います。名人っていうのは疲れるんですよ。名人は怪談話とか人情話もやるんだから。なら、名人の次の達人でいたい。笑わせたり、聞かせたり、楽さんにこれ出てもらおう、これやってもらおうと、その時代に必要とされる人間でいたいです。そう思いますね。

落語界はひとつにならなきゃダメなの。「各団体どうしで切磋琢磨しなきゃ」って理屈こねてる人もいるけれど、切磋琢磨は個人でやるべきものです。

最後の10年は師匠のやり残したことを整理する。それがセクレタリーとして師匠についた私の最後のご奉公かな

仕事というのは対価を得ること。自分の能力を評価するのは他者なんです。そのことを忘れて、「これだけやっているのにわかってもらえない」とボヤくのはお門違い。「あいつは役に立つ」「あいつはよくやっている」と言われない限り、自己満足に過ぎないんです。落語の世界でよくいるのが「弟子入りしたのに、雑用ばかり」とやめていく人。だけど、雑用ひとつ気持ちよくできなくて、師匠や先輩の引き立てがあるはずがない。ましてやお客さまからのごひいきを頂けるとは考えられないですよ。

僕は客席にいい風を送りたい。風薫るという言葉があるからね。学校には校風があり、うちには家風が、芸事には芸風というものがある。
風はいい香りでないと。
つまり、芸がくさくならないように

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