comedian 名言

「芸は人なり」桂歌丸

言葉と人生

桂 歌丸は、日本の落語家。位階は従五位。勲等は旭日小綬章。本名は椎名 巌。 公益社団法人落語芸術協会会長、横浜にぎわい座館長などを歴任した。 生年月日: 1936年8月14日

名言

修業は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。

苦労したというよりは、ずっと苦しんでいる。

ニ十歳を過ぎた人間にモノを教えることは何もない。ニ十歳を過ぎた人間は大人だ。ニ十歳を過ぎたら自分で気づくよりほかない。

褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え

若い時に苦労をしろ。何年か先に振り替えった時、その苦労を笑い話にできるように努力するんだ。

ある種、いい加減にやることは必要。いい加減は「良い加減」ですからね

人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや。

どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。人の話を理解しようと努めれば、自分にない人の性質や発言の真意を想像するでしょう。ひいては聞き上手が話し上手になるんです。

その道が広くなるか狭くなるか。平らな道かデコボコ道か。それは自分の歩き方次第。
ことによると、途中で土砂崩れにあうかもしれません。でも、わたしにはこの道しかないんです。

ブームっていうのは必ず落ちる時がきますからね。ブームの時に責任を持たなきゃいけないのは、我々噺家です。
上がっていくときは簡単ですが、落ちかけた時いかに長く水平に保ち続けられるか。落語を残すのも噺家の責任、落語のお客様を残すのも噺家の責任なんです。

薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに「芸は人なり」なんです。

私たち落語家は、噺でお客さんに楽しんでもらう商売です。
肝心なのは、お客さんの頭の中に情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて届けたい。

とにかく陽気な噺でお客さんを笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると、不思議と受けるんですね。

いろんな人に言われます。70を過ぎてまで、どうして苦労して新しい噺を覚えるのかって。
そりゃあ覚えも悪くなっていくし、挑戦し続けるのはしんどい。でも、最期に目をつむった時に楽な気持ちでありたいんです。「ああ、あの噺もできたのに」なんて後悔しても遅いでしょ。

まだまだ覚えたい話もあるし、落語を引退する気はない。
80歳になったらもっと勉強を始めようと思う。笑点のメンバーが上納金をくれるみたいだしね

ちなみに、健康の秘訣は「毎日梅干を10個食べること」だそうです。これからも、その素敵な言葉で多くの人に笑顔を与えてくれることでしょう。

自分が好きで選んだ仕事ですからね。ずっと長く続けてこられました。でも若い頃に師匠の元を飛び出したことがあって、1年半ほど高座から離れたことがあったんです。噺家を辞めたわけではないけれど、落語をする機会が減ったので、化粧品の訪問販売のアルバイトをしたこともありました。

食べるために何か仕事をしなければならなかったわけですから。訪問販売なら、しゃべることが仕事。それが修行、とまでは思わなかったですけど、洗顔クリームとポマードを間違って売りつけてしまったり、派手な下着が干してあるから若いお嬢さんがいると思って訪ねたら、おばあさんが出てきたりしましてね。しゃべりとは違ったところで、戸惑ったことは多かったですよ。つらかったけれど、よい経験だったと思います。

これは落語の世界での経験ではないから、これをもって苦労したなんて言ったら、それこそ今輔師匠に叱られます。でもね、「苦労したことが笑い話になるように苦労しろ。若い頃に苦労すれば、先に行って楽になる」と師匠に言われていましたから、苦労することは当たり前だと思っていました。

私は祖母に育てられたから、自然とそういう生き方みたいなことはしつけられていたんです。だから師匠の話もすーっと頭に入ってきました。身近な例で言うと、「畳のへりを踏むな」とかね。へりを踏まないのは、座敷を静かに歩くため。今の若い人たちはそういったことを知らないで育っている。弟子が2階でどたどたと歩く。「ここは池田屋じゃない!」と私は言うんです。

苦しんでいます。何に苦しんでいるのかというと、毎回お客さまが違うということなんです。高座ごとに異なるお客さまと立ち向かって、真剣勝負をしなければならない。何を言っても笑ってくれるお客さまが多い高座もあれば、何を言っても反応が薄いときもあります。今日はどんなお客さまなのか。落語をよくご存じなのか、それともあまり知らないお客さまなのか。日常の生活にストレスを感じているお客さまもいるかもしれない。それでも、私の噺で笑ってもらわなければならない。
これは噺家の定めなんです。80歳になって、ネタを覚えなければならない。さすがに記憶力が低下したのかなと思うことがあります。噺家である以上、それはずっと続きます。この苦しみがなくなったら、噺家としてはおしまいです。

自分で選んだ道ですからね。「何で師匠はそんなに苦しんでいるのですか」とよく聞かれます。「楽になりたいから苦しむんだ」と答えている。それでは、いつ楽になるんですか。それは目をつぶるとき、つまり、あの世へ行くときです。でも私は、目をつぶってまで楽になりたいとは思いません。

苦労や苦しみの先に光があるはずなんです。その光が何なのかを追い求めて、お客さまに笑っていただいている。どうも最近気づいたんですが、私の場合、光が先に、頭に来てしまったようです

これも師匠に言われたことなんですが、苦労や苦しみは自分に染み込ませてはいけない。染み込んだら、噺がしみったれてしまう。それは自然とにじみ出てしまうんです。そうなったら、誰も笑ってくれませんよ。苦労や苦しみは、突き破って、乗り越えなければならない。噺家はそれを笑い話にしなければならない。最近の言葉ではブレイクすると言うのでしょうか。

目標がいる、憧れがいるというのは大事だと思います。

落語は、自分で創作して、話を進め、時にはそれを直すことができます。人に使われるのは嫌だと思ったんです。それに何よりも、私にとって落語が本道なんだと、思い直したことが大きい。

芝居の経験よりも、これから進む道に迷ったら、自分の本道に立ち返ることの大切さを知った

迷ったら原点に立ち返れと。脇道にそれたりすることが悪いというのではないですよ。ついつい仕事で“浮気”もしてしまうこともあるでしょう。でもね、そこで少しでも迷いが生じるのなら、自分の立ち位置や、ベースとなっていること、そして根っこにあるものを見つめ直すことが大切なんです。

笑点では“お足”(出演料)をいただきながら、私の宣伝もしてもらったようなこともあります。でも、笑点で40年間メンバーとして、10年間は司会をやらせていただき、大喜利の勉強もさせてもらいました。

高座で何をすべきか、高座を離れたら噺家として何をすべきか、これは自然と身につけておくべきことです。師匠が弟子に教えることではない。例えば、最近の若い人の中には、挨拶もきちんとできないことがあります。教育は学校で行われるべきという人もいるけれど、挨拶は家庭で教えるべきだ。着物のたたみ方も知らない人もいます。確かに着物を着る機会は減りましたからね。

噺家になるためには、知識ではなく、生きる知恵を持ってなくちゃいけないんです。

聞き上手になるということ。よく「話し上手」というでしょう。私は、これは正確ではないと思っています。正しくは「聞き上手」なんじゃないかと。そりゃ私は噺家です。話は人よりはうまいかもしれない。でも人の話を聞くのが上手な人は、話もうまい。これは噺家だけの話ではないでしょう。

上に立てば立つほど、下に優しく上に厳しくなるということ。これも大事なことですね。どんな組織でも、共通することではないですか。

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