Executive speech 名言

「志」孫正義

特別インタビュー

ちょうどアメリカではヤフーが生まれたばかりでした。

まだ社員が6〜7名の頃に、我々が資本を100億円投入し、アメリカのヤフーの筆頭株主になりました。

そしてYahoo! JAPANをジョイントベンチャーで作りました。

さらにこのとき、日本のインターネットのインフラは先進国のなかでも、高くて遅い状況だった。

そして社会正義にかられて我々はNTTに挑戦しました。

これがブロードバンド革命です。

実はこの時ですね、ソフトバンクはその直前の2000年の頃、株価が絶頂期でした。

僕の個人資産が、ビル・ゲイツを超えたこともあります。

世界一の大金持ちはビル・ゲイツでしたが、3日間だけ僕が彼を抜いたことがあります。

あまりにも短すぎて記録にもならなかったけど。

その時、僕の個人資産は1週間に1兆円ずつ増えていってたんです。

みなさん、1兆円を手にしたことのある人、手を上げてください?

ないでしょ〜。言っとくけど、そんなに簡単に手に入らないからね。

それが、1週間に1兆円ずつ増えていくわけですよ。

そうするとね、なんかおかしくなりますよ。

もはやお金が記号になるんです。

毎週1兆円ずつ増えていくといろんな人が寄ってきます。それこそ満面の笑みで寄ってきます。

さっき僕が言っていた人々の笑顔とは違う笑顔でやってくる。

ニタ〜って笑って寄ってくる。

ちょっと人間不信にもなったりして、お金が嫌いにもなりました。

そういう贅沢な気持ちもあまり味わったことないでしょ?

だから、お金はいろんなところに寄付したいと思っていた。

でもどこに寄付するんだろうって考えてたら、神様が答えを出してくれました。

ネットバブル崩壊です。

数ヵ月で株価が真っ逆さまに落ちていった。

99%下がったんですよ。

ソフトバンクの全体の時価総額が20兆円だったのが、2000億円まで下がりました。

100分の1にまで下がったどん底のところで、僕は「よし!」と思った。

神様がワシに試練を与えてくれたと思って、これはこれでおもしろい人生じゃないかと。

ついこの間まで、人生が記号のような、銭金が勝手に押し寄せてくるような、

そんな状況になっていたのが、どん底に陥ったわけです。

逆に闘争心が掻き立てられ、ガァーっとアドレナリンが湧いてきたんです。

俺はネットバブルで実力以上に評価されたりしたけど、本当の俺の底力を見せてやるぞと思いました。

「いよいよ戦うぞ!」というような強烈なやる気が沸き起こってきた。

死にかけた男が生き返ったわけですから。

なんぼのもんじゃい、会社が潰れてでも戦うぞと。

どうせ戦うなら日本で1番大きい会社と戦おうと思ったんです。

普通の会社と戦ったら弱者いじめをしているみたいで、なんとなく気がひける。

一切の手加減をせずに、全力をあげてぶち当たってやるぞと。

相手は日本一大きな会社。NTTですね。

大きな挑戦

今でこそCMをたくさんやっていますが、当時は宣伝も一切なし。

ニュース報道だけで100万件の申し込みが3日間できたんです。

革命的な価格と性能だったからきたわけです。

ただ、これをつなぐためにはNTTの局舎に入って、その中で我々の通信機器とNTTの接続ポイントとを繋がなければいけません。

こいつらがですね、繋がせないわけですよ。

技術的にはできるんだけど、先に書類で手続きをしないと繋いでくれない。

この書類がまた役所仕事のように遅いわけです。

書き間違いがあると全部がやり直し。

まあひどいということでブチ切れました。

それで総務省に行って、総務省の課長に何とかしてくれと頼んだんです。

あいつらはひどいと。

何とかしてくれないなら記者会見をしてやる。

いかにNTTがひどいか、それを管理監督している総務省もいかに無能かということを、全部ぶちまける。

そして、記者会見した直後に、俺はここで灯油をかぶって逝きます、と言ったわけです。

そしたらその課長が「え、ここでですか?」と言うんです。

貴様、ここじゃないならいいのか、って腹が立ちましたね。

私が机をバンバン叩くので、しまいには課長が泣きだしてしまったんです。

冗談抜きで、100万人の人々を待たせていることに責任感と罪悪感を感じていたわけです。

当時は4年間で1000億円の赤字を出しました。しかも、このときは株価が暴落して時価総額が2000億円まで下がっていた。

2000億円しかないのに4年連続で1000億円ずつ赤字を出したら足りないじゃないですか。

算数が合わないわけです。なのに、なぜか生き残った。しぶといよね。

生き残る術は色々と身についているんですけど、とにかくラッキーも含めて生き残りました。

どうせ病院で死ぬはずだった俺だから、死ぬ気になって戦って、結果として日本のインターネットはどうなったか。

日本は先進国のなかで、世界一安くて、世界一速いブロードバンド大国に生まれかわった。

みなさんね、日本に住んでいて、インターネットが速いのが当たり前のように思ってるでしょう。

当たり前のように、ヤフー、グーグル、楽天が速いと言って使ってるでしょう。

誰のおかげだと思います? 

ちっとは感謝せなあかんよ! 

ワシが命がけで病院から出てきて戦わなかったら日本は世界一高いままだったかもしれない。

勝って尚、挑戦

ソフトバンクも生き残って、4年経った後にやっと黒字になった。

黒字になったと思った瞬間に次の戦いがあった。

インターネットはパソコン中心の時代からモバイル中心の時代に変わるぞ、と私が言い出した。

社員や幹部は大慌てですよね。

銀行も大慌てでした。やっと4年の赤字から脱したのに、もう1度挑戦すると。

病院から復活してね、もう挑戦したくてしょうがなかった。

どうせ取り戻した命なんだから、生きているという証が欲しい。生きているという快感を得たい。

だったらもういっちょ勝負するぞということで、ボーダフォンジャパンの買収を行いました。

1兆8000億円。当時、うちの会社の時価総額が6000億ぐらいでした。

それなのに1兆8000億円の会社を買うわけです。

みなさん、この算数できますか? 普通だったら買えないよ。

ソフトバンクは借金だらけで大丈夫か、と言われてました。

みなさん、うちの会社に来るとなると、「ご両親はソフトバンクは大丈夫か? ソフトパンクじゃないのか?」とか言うかもしれません。

あそこは借金だらけだと聞いているぞと。

大丈夫です、借金、慣れてるんです!

もうね、借金が多いなんていまに始まったことじゃないから。

もうずーっとなんです。

しかもはるかに小さい時に、はるかに身の丈を超えた借金を経験している。

それでも生き残っているんだから、それなりのノウハウが身についているわけです。

買収時にお金は2000億円しかありませんでしたが、1兆8000億円の買い物をしました。

どうやって残りの1兆6000億円を手にしたのかというのは、まあいろんな工夫の結果です。

とにかくやっちまったということです。

そしたら、すぐに週刊誌で

「孫正義は1兆円をドブに捨てた」と大々的に書かれて、さらに株価が下がった。1週間で6割株価が下がった。

やっと赤字から黒字に戻って、1週間でまた6割株価が下がってしまった。

もうめちゃくちゃなジェットコースターですね。

株主は怒るは、銀行は怒るわ、幹部も怒るわという状態でした。

ただ、私には秘策があったんです。

当時は誰にも言っていませんでした。

ソフトバンクの中でも知っていたのは2〜3人。私には1.8兆円の勝負をする自信があった。

その秘策が、この男であります。

スティーブ・ジョブズ。彼がまだiPhoneを発表する前です。彼に会いに行きました。

スティーブ・ジョブズ

「スティーブ、これを見てくれ!」と言って、私は手書きの図面を見せたんです。

「これを作ってくれ、あんたにしかできないだ。

なぜなら、あんたはアイポッドを持っていて、MacのOSを持っているだろ?

このアイポッドにMacのOSをくっつけて、アイポッドのディスプレイをもう少し大きくする。

それに通信機能を入れたら、これはモバイルインターネットマシーンになる。

インターネットがPCからモバイルに切り替わるタイミングであんたがこれを作るんだ」

と言いました。

図面を見てくれと渡そうとしたら、

「マサ、そんな汚らしいものは引っこめろ」

と見てくれないわけです。

俺の書いた図面が気にくわないのはわかった。

でも、お前のニタっとしたその笑顔の裏にはきっとこれに相当するものを作っているに違いない。

「そうだろ?」と言ったら、

「俺は喋らない」と答えたわけです。

超秘密主義の男ですからね。

喋らなくていいから、お前さんが作っているそれが完成したら、

日本での独占権は俺にくれ。

俺をパートナーとして選んでくれと言ったら

「マサ、それじゃあ俺の家に来い」となった。

彼の家の行って続きの話をしました。

「わかった。お前に独占権をやる」と言ってくれた。

それじゃあスティーブ、ちょっと一筆書いてくれと頼みました。

スティーブは笑いだして

「そんなものは書けない。だいたいお前は携帯会社として日本のライセンスすら持っていないじゃないか。携帯会社にもなっていないのに、独占的によこせ、一筆書けなんて要求しすぎだよ。まず出直して、携帯の電波の許認可をとって、それから戻ってこい。そしたら続きの話をしよう」

と言われた。

よし分かった、あんたの言うことは理にかなっている。

だけど、忘れないでくれよ。

俺が電波の許認可をもらい、その会社を始めて戻ってきた時には、

あんたが俺に独占権をくれると言った約束を果たしてくれよ、と言ったわけです。

それから2週間後に1.8兆円でボーダフォンジャパンを買うという契約に調印をして、

スティーブのところへ戻っていったわけです。

「スティーブ覚えているかい? 男の約束を守れるかい?」と言ったら、彼はまたニタっと笑った。

「覚えている。俺は約束を守る」と言った。

彼との口約束一つで1.8兆円の賭けにでたわけです。巡り合いというのは面白いですね。

彼との巡り会いがなければ1.8兆円の勝負にも出なかったし、今のソフトバンクもないということになります。

彼がすごいのは、単にアイポッドを電話にしたわけではなくて、ありとあらゆる機能を一つの製品に入れてしまったことです。

それがiPhoneだった。

おそらく300年後の世界で、名前が残っているとしたらスティーブだと思います。

レオナルド・ダヴィンチはテクノロジーとアートをクロスオーバーさせた。

当時最強のテクノロジーだった医学、物理、化学を操る頭脳をもち、モナリザのようなアートまで書いた。

アートとテクノロジーをクロスオーバーさせた最強の1人目がダヴィンチだとすると、

2人目はスティーブ・ジョブズだと思います。

単なる電化製品は世の中にたくさんありますが、アートと呼んでいい初めての製品がiPhoneだったと、私は思いますね。

まさに人々のライフスタイルを変えた、尊敬に値する男だと思います。

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