朴 智星は、韓国出身の元サッカー選手。元韓国代表。 アジア人選手として初めてUEFAチャンピオンズリーグのトロフィーを手に入れ、そして決勝戦でプレーした選手である。朴は4度のプレミアリーグ優勝を経験し、UEFAチャンピオンズリーグとFIFAクラブワールドカップでも優勝を経験している。 生年月日: 1981年2月25日
名言
韓国も日本もここ最近、世界レベル、すなわち強豪国との対戦がないのでどのレベルにあるか判断しづらいですが、ここ数年で世界の強豪たちとの距離が縮まったとは思えません。世界とアジアとの間にはまだまた格差はある。
世界の強豪国とアジアとの間にある差は一朝一夕で埋まるものではありません。ただ、だからといって戦う前から諦めたり、必要以上に恐れることはありませんが、本番までいかに準備するかが重要になってくるでしょうね。
日本の場合、海外組が多いので欧州国を相手にしてもプレッシャーを感じることは少ないと思いますが、個ではなく組織として戦うのがサッカーです。個々の経験値ではなくチーム全体として自信を深めていくことが重要でしょう。
結果を残せず戻った選手もいますが、途切れることなく継続的にアジア選手がやって来て結果を出しているので、以前まで大多数を占めていたアジアに対する否定的な見方は薄れ、“アジアの選手も競争力がある”“アジアにもプレミアに通用する選手はいる”という認識が、間違いなく出来つつあると思います
僕以外にもヨーロッパに挑戦した先輩たちは多く、僕はその延長線上にいるひとりに過ぎません。それでも僕が大きく取り上げられるのは、マンUのおかげでしょう
僕が在籍した時代にマンUは多くの優勝を成し遂げ、そんな最強のチームの中にアジア人の僕がいたことで話題になりやすかっただけですよ。
大切なのは量と継続性なんです。ひとりふたりの選手が目立っても大衆の潜在認識は変えられないし、一瞬の輝きだけでは忘れられてしまうのも早い。多くの選手が活躍し、その系譜が持続してこそ、欧州におけるアジアサッカーに対する認識も改善されるんです。
アジアの評価が高まれば、韓国や日本の新たな才能たちが今よりももっとたくさん、欧州に挑戦できるようにもなる。そういう将来を見据えたとき、今、ヨーロッパでプレーしているアジア人選手たちは、そういう環境作りの面においても重要な役割を担っているし、それぞれその役割を果たしていると思いますね
言葉をマスターしてこそチームメイトとコミュニケーションできるし、自分が考えていることも伝えられる。謙虚さがアジア人の美徳ですが、こっちでは自己主張できなければ生き残れません。
基本的に日本代表はアップダウンがないというか、戦力的に安定しており、成績の浮き沈みが少ない。韓国代表はアップダウンがとても激しいのですが、日本は代表チームの運営がシステマチックで選手も次々と出てくる。その確かなベースの中である程度のレベルは維持されているので、著しく成績が落ち込むことがない。それはとても良いことだと思います
トレンドが入れ替わりながら微妙に進化してくわけですが、現代サッカーでその変化の流れをどれだけ的確に読み取り、対処していくかが重要になってくると思いますし、監督選びもそのひとつだと思います。
そのチームが持つ本来の長所やストロングポイントを生かしつつ、世界の潮流に合わせて新たなプラスアルファを加えられる監督こそが“良き能力を持った指揮官”ではないでしょうか
もともと勉強は嫌いではありませんでしたが、机にかじりついて本と睨めっこすることがこんなにも大変だとは思わなかった。サッカーのほうが、楽でした
サッカー選手のセカンドキャリアは、大きく分けて三つあると思います。指導者、解説者、そしてクラブ運営や協会・連盟など全体をオーガナイズしていくマネージメントの仕事、ですね。
僕はアジア人選手としてヨーロッパで活動して多くの声援もいただいたので、今度は韓国やアジアサッカー発展の助けになる仕事がしたかった。それで出した結論がサッカーマネージメントの道でした
良い監督になるためには戦術的なことも重要ですが、何よりも選手たちとの心理戦でチームを掌握する強いリーダーシップが必要です。状況を瞬時に把握して言葉で選手のやる気を引き出し、ときには怒鳴りつけプライドを刺激しながら、発奮させることもある。
立場が変われば見方も変わる
自分の夢に向かって情熱を注ぐことの尊さを、改めて学びました。というのも、最初の頃は、サッカー選手だったからちょっと勉強すればサッカー行政の仕事ができるだろうという軽い気持ちも、どこかにあったと思うんです。でも、そんな甘いものじゃない。勉強しながらそう感じましたし、一生懸命なクラスメイトたちの姿が僕にたくさんのことを気づかせてくれた。彼らは本当にスポーツが大好きで、そのスポーツをもっと良くしたい、そのための仕事に携わりたいという情熱にあふれている。そんな彼らに刺激を受け、情熱をもってこの仕事に取り組まなければならないと強く思いました。そう、まるでサッカーを始めたときのような熱くて強い情熱です。その大切さを改めて実感できただけでも、1年という歳月を費やした価値があったと、強く思うようになった
僕がサッカー行政の道を進もうとする理由は、韓国やアジアサッカーの発展に役立ちたいという夢があるからです。10年後になるか、20年後になるかはわかりませんが、立派なサッカー行政家としてアジアサッカーの発展に寄与できれば本望です。そのためにも、しばらくはヨーロッパでもう少し多くのことをを学び、経験をしたい。