黒田 博樹は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手。右投右打。野球解説者。 元メジャーリーガーで、現役時代にはNPBの広島東洋カープおよび、MLBのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍。実父の黒田一博も元プロ野球選手である。 生年月日: 1975年2月10日
名言
プロ野球選手として活動してきたなかでの一番大きな決断は2007年,メジャーリーグへ行くことを決めたときです。私がアメリカに渡ったのは,32歳のときでした。これは今の野球界からすればとても遅く,選手としてのピークも過ぎていたと思います。だから,挑戦することには大きな勇気が必要でした。
松坂大輔投手や上原浩治投手をみて、自分の力が足りないことを感じた。もっと広い世界で試したいと考え、次に挑戦するステージとして米メジャーリーグが浮かんだ
「小さな目標」をまず立てる。そしてその目標をクリアしたら,また次の目標へ向かって努力をしていく。
メジャーで7年間投げ続け、最終的に日本へ復帰することを決断したときの気持ちはいまもよくわからない。メジャーでは一年、一年が勝負だったし、日本に戻るならカープしか考えられなかった。メジャーでも必要な選手とされながら、日本球界に帰ることが一番意味があると思っていた。それがメジャーで投げ続けるモチベーションでもあった。カープに戻った後、若い選手に質問されたときには失敗談を伝えるようにしていた
「メジャーリーガーになる」というのは大きな夢ですが,そこまでの道は,やはり1段ずつなんですね。1段1段,少しづつ積み重ねたものがあったからこそ,挑戦もできたのではないかと思っています。
僕は自信と過信は紙一重だと思うので。常に不安は持ったままです、何に対しても
私は,自分自身のことを「強い人間」だと思ったことがありません。もともと幼いころから慎重というか,良くも悪くも周りをしっかり見るタイプではありました。
プライベートな事柄をマウンドに持ち込むことは許されない
僕は山本浩二監督に育てられたというか、信頼されて使ってもらえたというのが自分にとって大きかったと思います。浩二さんとの5年間は僕自身、投手として一番成長できた時期でした。起用されれば長い回を投げる、完投する、それが『エースの条件』というような……今とは少し違うかもしれませんが、そうやって起用してもらう中で、エースとしての意識をしっかり持てました。僕自身、気づかないうちに育てられたのかもしれません
日本での優勝はそれまで経験がなく、現役最後に初優勝ということで『これが優勝なんだ』という気持ちがありました。特に僕はカープでなかなか勝てない時期を経験していますし、カープで優勝できたのは、すごく感慨深いものがありました
先に準備をしておくのは「弱いから」なんです。マウンドに上がるのが怖いから,しっかり準備をするんですね。
強い人なら,たとえ打たれてしまったとしても「まあそういうこともある」と切替えることができる。でも私は,打たれるのが怖いんです。じゃあどうするかというと,恐怖心があるから準備もするし,相手のこともしっかり調べる。「これで100%大丈夫」ということはなくとも,それに近づけてマウンドに上がるようにしていました。
私の「弱さ」が,逆に「強さ」になったんだと思います。悔しい思いをしたこともありますし,ワーッと暴れたい気持ちになったこともあります。でも,そういう気持ちを味わいたくないから,練習や準備をするんです。
いつ最後の一球、最後の登板になってもいい。そういう気持ちでやってきた
多少変化はしていきましたが、チームによって当然エースはいて、それぞれのチームでエース像は変わってくると思います。僕自身がずっと思っていたのが、『自分の身をこのチームに捧げられる』というマインドを持っている人がエースだと思います。当然たくさん勝つことも大事ですが、僕はそういうマインドの投手でありたいと思いましたし、そういう投手を目指していました
メンタルの究極はいつ壊れてもいいと思っています。人間そう思ったときが一番強いかなと思っているので
「決断する」というのは,とても難かしいことです。二つの方向に同時に進むことは不可能ですし,どちらか一つを選ばなくてはいけない。そういうときに大切なのは,「自分が進んだ方向が正しかった」と思えるために,努力することではないでしょうか。どちらを選んでも,絶対に後悔はあると思います。しかし,選んだ道で精一杯の努力をすれば,「この道を選んでよかった」と思えるはずです。
勝ち負け以前に、投手として戦う姿勢を見せることが大切だと思っている
「1番」は,一人しかいません。その一人に選ばれるのは大変なことです。もし1番になれなくても,努力をすれば,次の違ったステージで1番になれるかもしれない。たとえトップになれなくても,可能性はたくさんあります。でも,努力をしないと,次のステップは出てこないんです。だからまずは,あきらめずにやり続けること。そうすれば,次の光が見えてくるはずです
『試合を壊してしまえば、一切の信頼を失ってしまう』という危機感は常に持っている
ここまで来られたのはカープのおかげ。また日本でやるなら、このチームしかない
自分で自分の引き際を決めるわけなんで、それはそれなりに大変だと思うが、そういう自分の引き際を間違えないために今まで一生懸命やってきた部分ある。だから、それに関してはこういう引き際を選べたのは、よくやってきたという思いはある