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「人生は自分で切り開くしかない」渡辺謙

渡辺謙

渡辺 謙は、日本の俳優。本名同じ。新潟県北魚沼郡広神村の出身。演劇集団 円を経て2002年からケイダッシュ所属。 世界各国において映画を中心にテレビドラマ、舞台、テレビコマーシャルと幅広く活躍している日本を代表する俳優の一人。身長184cm、体重80kg。父の渡辺亮一は画家としても活動している。 生年月日: 1959年10月21日

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日々の小さな営みが、仕事では一番大切なんだと思います。ひいては仕事の成果にも影響していくんじゃないでしょうか。

僕自身、俳優としてはまだまだだと思っているし、もっとたくさんのことを学ばないといけないと痛感しています。

先輩から学ぶことは大切だけど、100%真似ることはできません。やっぱり最後は、それを自分なりにどう消化して仕事や人生に活かしていくかでしょう。

自分を成長させるために大切なことがあるとすれば、人生で何かアクシデントに遭遇しても、逃げずにきちんと向き合うことではないでしょうか。嵐が通り過ぎるように受け流すのではなく、「残念だ」「悔しい」という気持ちをきちんと受け止めて整理して次につなげる。そういう生き方が、知らず知らずのうちに仕事の勘や生きる知恵に昇華されていく。何か特別なスキルを身につけて実力が一足に飛び上がるなんてなかなかないんじゃないでしょうか。

人生は自分で切り開くしかないわけですから、僕が下の世代に対して、「君らは○十代だから、○○した方がいい」とサジェスチョン(提言)すること自体、押しつけがましい気がします。

ハリウッド映画への出演やブロードウェイでのミュージカル出演にしても、これまでやった仕事の大半は「いやあ、これはないんじゃないの」というのが第一印象。そこから「もしかしたらやってみるべきかも」「いや、でもやっぱり」とひたすら悩む。でもいざやろうと思ったらそこからの迷いは一切なくなります。決めたからには120パーセントやりきろうと、スパッと切り替えますね。

僕は宗教家でも哲学者でもないので、「実はこれはこういう意味をもっている」とか「こう考えないといけない」なんてことを映画で提示する気はまったくない。ただ、少なくともここで描かれている世界観がいったいどういうものなのか、僕はもう一度考えてみた。そのうえでひとつのセリフや視線のなかにその世界観をどう折り込めるか、そういうことに真剣に向かいあったつもりです。結局俳優としての僕に重要なのはそこですから。

結局どんな時代でも、いま作品を観ている人たちが、我が事のように感じられなければ、何の意味もない。ただの偉人伝ではなくて、どの時代も同じで、人って逡巡したり、揺らいだり、欺瞞を持ったり、嘘をついたり、傷ついたりするんだよねということを、お客様に感じてもらえなければ意味がないと思うし、逆に言えばそういう作品なら10年経っても、古くはならないと思うんです。

人種や宗教の違いなど、いろいろな考え方があるのですが、そのなかで、どうやって他人を理解していくことができるのだろうかと考えることが、僕の大きなテーマになっていました

これをやれば絶対だという方法はないですが、少なくてもこちら側からは心を開こうという気持ちではいます。そうしなければ、相手も受け入れてくれませんからね。それは海外に限ったことではない。例えばこういう取材でも、奥歯にものが挟まったような言い方はできるけれど、それでは良いコミュニケーションは取れない。常にフレキシブルかつオープンマインドでいることで、距離は縮まると思うんですよね

いま幸か不幸か、息子や娘たちが僕と同じような道を歩きはじめています。ただ、努力の仕方については一切サジェスチョン(忠告)をしていません。というのも、教えても無駄だし、そもそも教えるべきものではないですから。「僕はこうだったよ」と教えても、時代も違うし、やろうとしていることも違うので、きっと役に立たない。それ以上に、どういうやり方がいいのか、自分で探してつかんで引きずり込まないと、オリジナルにならないですから。

僕のなかには出演作へのこだわりはないです。こだわってしまうと、そこで安定してしまう。すると『こいつは見なくてもいいや』と思われてしまう

何のために努力を続けるかというと、やはり自分のためです。いつからかコツコツ努力することがカッコ悪いという風潮がありますが、いいじゃないですか。カッコ悪くたって

向かい風に立ち向かうとパワーが出ます。人間不信に陥って仕事に逃げ込んだとき、仕事に対してすごいエネルギーが出ました。

僕らの世界では才能ってすごく曖昧なもので、僕自身、「俺の才能って何なんだ?」とずっと悩んできました。最近は「考え、悩み続けることができる」のが自分の才能なのかなと思っています。

生まれつき心が強い人はいない。逆境に強いといわれている人にだって、迷いはいっぱいあったはずです。

とにかく考え続け、悩み続ける。役を演じるにあたって、いろんなものを見たり読んだりして、自分の中に取り込んでオリジナルにしていくのですが、本当にこれでいいのかなと、いつも「スタート」の声がかかる寸前まで悩み続けます。

苦労は買ってでもしろとよくいわれますが、そうなのかもしれません。逆境にさらされているときって、自分がどちらに向かって進んでいるのか、方向を見失いそうになるじゃないですか。そこにありとあらゆる知恵や感性、経験値を最大限に駆使していかないと、立ち往生して一歩も進めなくなってしまう。そこで前に進んでいこうというエネルギーを振り絞ることで、自分自身が鍛えられていくんでしょう。

若いころから大きな夢を語ることも大切だけど、目の前のことを地に這いつくばって必死にやることも大切です。映画界でも、演出でも脚本でもない裏方の仕事を血眼になってやっていた若い人が、メキメキと力をつけて監督に出世することがあるんです。目の前の仕事を一心不乱にやっていると、きっといろんなことに興味が出てきて自然に育っていくんですう。

仕事でスランプを感じたのは、30代後半です。順調に仕事をこなしていたのですが、「ああ、渡辺謙はこんな感じだね」という評価が固まりつつあることに危機感を持ったんです。そこで僕の30代を支えてくれた人気ドラマシリーズを、泣く泣くすべて降板しました。

僕の場合、最大の逆境だったのは病気と人間不信です。40歳前後でいろいろと騒動があって、精神的にひどく落ち込みました。病気は直すために何をしなければいけないかが自ずと見えてきますが、人間不信にはつける薬がない。この時期はとにかく仕事に励むしかありませんでした。

超一流の仕事といえるのは、つまるところ、自分の仕事や人生にどこまできちんと向き合えたかじゃないでしょうか。

結局、仕事が上手くなるというのは、スキルを習得するうんぬんよりも、どれだけ自分や他人の人生に対して真摯に向き合えているかってことではないでしょうか。仕事って全人格的な表現だから、その人の人生との向き合い方が如実に現れてしまう。付け焼刃で誤魔化すことはできません。

「個性を伸ばす」という観点でいえば、あまり自分をひとつのカテゴリーにはめて考えない方がいいかもしれません。いま「ニート」が増えているって問題になっていますが、「ニート」っていう枠に自分から既定しちゃって何も行動を起こさないというのはやっぱり甘えだと思う。僕もポスト団塊の世代で「三無主義(無気力・無関心・無責任)」と揶揄された世代なので、気力がわかない時代背景は理解できないわけじゃない。でも、世間が勝手につくったカテゴリーに自分をはめたところでつまらないのに変わりはありません。

映画づくりで一番大切なのは、最初に自分が突き動かされた思いを、制作過程でいかに捻じ曲げずに育てていくかなんです。枝葉を伸ばすのではなく、幹を太くしていくイメージです。

「仕事ができる人」というと何か特別なことがあるのって感じがしますが、おそらくそんなものはどこにもないし、教えられるもんじゃない。それこそ失敗を繰り返しながら薄皮を剥ぐように身につけたことの方が役に立つんじゃないでしょうか。僕だって日々の撮影の中でいろんなことを試して、そのなかで次につながっていくのは、せいぜい1割か5分程度です。そんなもんですよ。

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