蜷川 幸雄は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。 ウィキペディア生年月日: 1935年10月15日
名言
平均点をちゃんと出せるような子ってつまらないよね。いくらでも替えがきくんだよそういう俳優は
内面の問題の抱え方とか、勉強の仕方とか。日常生活のたくさんのことが舞台に表れてくるわけだから、それをちゃんとやれ。というような指導を演出家がやってくれない限り、俳優は育たないと思っているわけです
自分たちが直接やったわけではないけども、やはりシンパシーを持って時代と共に走ったことについての心情的な責任をとらなきゃいけないなっていうことがあるんです
人と違うことをやることで、なんとか自分の存在証明をしたかったんでしょうね。人と違う、すごいものを作りたいっていう思いだけはありました
ぼくなんかは、今だって、俳優に「そういう生活スタイルじゃダメだ」とか言いますよ
生意気だったんだけど、その生意気さに実力がともなわないから、おもしろがられた
自分がどれだけ勉強していないか、上手いと思っているのがうぬぼれにすぎないかというのは、よくわかっていたんですね
俳優になろうかなと思ったんです。ものすごい決意があったわけじゃなくってね
若い世代に演劇史も学ばせ、連続した流れの中の演劇人として生きていることを、自覚する機会を与えたい
日本の演劇の欠けている部分を埋めていきたい
「なんでもできるわけじゃないけど、あいつにやらせたい」と演出家に思わせる、王子様じゃない俳優をここでつくって、ばらまきたいね!
何とかしてその人じゃなきゃダメっていう俳優を作りたい
どんな現場でも、誰とでも一緒に仕事ができる俳優になってほしいというのが一番の「望み」かな
自分の力で状況を判断し、人とコミュニケーションをしたい欲求を持ち、勉強する人間になってほしい
右と左の道があって、みんなが右に行って、たった一人でも左に行きたいと思ったら左に行ける人間になりなさい
子どもの自転車の補助輪をはずすと、怖がって嫌がる。ちょっと行って、ひっくり返ってすりむく。すりむいて、けがするなとは絶対いってない。努力したことに対してだめだな、とは一回もいっていないはずなんだ。怒ることは絶対ない。だから、勇気をもって、時には手放さないと。
妬むより妬まれろ
自分が正しいと思ったら、なにがなんでも突き進め
男に騙されるな、騙せ
いつでもどこでも男を捨てられる女であれ
僕たち人間は、なんて不器用な生き物なんだろうね。男と女が、人と人が本当に出会うことが、こんなに難しいとは
若い頃、僕の時間は未来へ向けて無限にあるように思えた。今、僕は終末の時間から逆算する。すると、人も風景も、そう、何もかもが違って見えてくる。僕は、疾走する
演劇って、もう一つの人生を生きているようなものなんですね。
現実の人生は一つしか生きられないけど、演劇というのは、夢みたいなものだから、いろんな人生を生きるわけです。これは俳優にはあんまり言いたくないんだけど、そこでは、羞恥心や自我というものは抑えられて、ミニチュアの世界をもう一個抱えていて、それを作っているようなものなんですね。そこで、自分の自意識も溶ける。
ぼくの場合は俳優をやめちゃったから、演劇をやっているということは、もう一つの人生を密やかに、ミニチュアみたいに作って、そこを生きているというようなことなんじゃないかと思う。
自分たちで気づくような方法がないかなと思いながら、アジテーションしている。アジテーションするためには、常に新鮮で謙虚でいないと、できないから。つまり、ぼくが見てきた古い世代みたいになりたくないわけ。だから、「若い世代に何か言いたいことありますか」って聞かれたら、「ありません」って答えてる。
人間の行動なんて、常に論理的であるばかりじゃなくて、意地とか、真似したと思われたら恥ずかしいとか、そういうのが、ぼくの場合は原動力になっています。コピーしたと思われたくない。
ぼくは自分の置かれた状況をあまり快適に守ろうとしない。いい気になることを防いでいく。
自分で偉そうなことを言うからには、オリジナルであるということや、常に新しくなきゃダメだということについては、十分気をつけていたかな。
時代はやっぱり違うかたちで動いてて、裂け目ができてて、そこからちゃんと新しい芽が出てくるみたい
いままで蓄積し培ってきたものは、一瞬にして崩れることがある。常に自分と向き合い自己否定をしながら、表現者としてどうやったら自分を出せるのかを考えて、現場に来なさい
楽なとこに行き過ぎるなよ