イケル・カシージャス・フェルナンデスは、スペイン・マドリード州モストレス出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。日本のメディアではカシリャス、カシーリャス、カシジャスと表記されることもある。 生年月日: 1981年5月20日
名言
今日はスポーツ人生で最も大事で最も難しい日のひとつだ。お別れを言う時が来た
人々が僕のことを思い出すときには、良いGKだったか、それとも悪いGKだったのかということなどではなく、ただただレアル・マドリーにとって良い人間であったと振り返ってくれたらうれしい。
大切なのは「時」を逃さないこと。
チャンスが巡ってきてもその時結果を残せなかったら、意味が無いからね。
ありがとう。本当にありがとう。皆のことは絶対に忘れることができない。僕はどこにいようとも、“アラ(万歳)・マドリー!”と叫び続けていく。
さよならは言わない。これは通過点なのだからね。またすぐに、ここで会えるはずだ。
僕は昨日からレアル・マドリー所属ではなくなり、これからポルトの一員となる。ポルト移籍を決断したのは、二つの理由によってだ。一つ目の理由は、ポルトの会長、ディレクター、監督から大きな期待を寄せられたこと。二つ目は自分の行き先がポルトガルになると分かったとき、多くの愛情を受け取ったためだ。僕は幸せだし、とても満足している。できる限りのタイトルを獲得するために尽くしたい
世界で最も偉大なチームのエンブレムを25年にわたって守り続け、ついにこの難しい日を迎えることになった。僕にすべてを与えてくれた存在に別れを告げる日がね。9歳でレアル・マドリーのユニフォームに袖を通し、夢を叶えていったのが、まるで昨日のことのように思い出される。これまで、僕たちは苦しみ、笑い、涙を流し、そして目一杯楽しんだ。。いつだって皆がそばにいてくれたし、とても愛されていると感じていたよ。良いときも、悪いときだってね
僕はマドリディスタの一人であり、できる限りマドリーの応援に駆け付けます。どこにいたって、マドリディスモ(マドリー主義)を持ち歩いていきます
今の僕らの優先順位は、どんな試合であっても勝つことなんだ。
ベルリンに辿り着くために全力を尽くす。僕たちは昨年の成功を繰り返すための力があるチームなんだ
19歳や21歳でチャンピオンズリーグを制覇するのと、長い時間が経ってから優勝するのとは大きく異なる。マドリディスタがこれらのトロフィーに異なる思い出を持っているのは間違いない。
多くの選手たち、質の高い、トップクラスの選手たちがレアル・マドリードを通過していった。このクラブで16シーズン過ごしたということは、自分のレベルを維持し、ここで継続するためにうまくやらなければならなかったということを意味する。要求は常に最大限。僕はチャンピオンズリーグやリーガのようなトロフィーを獲得し、代表に行く可能性を与えてくれたこのクラブに感謝している。なぜならレアル・マドリードは最高の踏み切り台だから。
僕は多くの素晴らしい選手たちと一緒にプレーする幸運があった。2000年代のレドンドは信じ難かった。フェルナンド・イエロ、ロベルト・カルロス、フィーゴ、ラウール、ベッカム、グティ、ロナウド、ジダンなど。そして今はクリスティアーノ、ベンゼマ、セルヒオ・ラモス…。5人だけを選ぶことはできない。その上もし11人を選ぶとしても誰を選んでいいか分からないだろう。
私は史上最高のクラブだと確信しているレアル・マドリードというチームで自分の人生の非常に偉大な時代を過ごしたが、ポルトガルに渡り、ポルトのような強固なチームに加入できた事も僕を非常に満足させている。私はここでキャリアを終える事ができたらいいと思っている。
(心筋梗塞から回復し)非常に幸運でした。多くの人々に支援され、励ましのメッセージももらい、愛されていることを感じました。感謝しています。今後はどうなるかは分かりません。最も重要なことは私がここにいるということです
2年前、欧州選手権で優勝したときが人生最高の瞬間だと思っていた。でも、今はあのときよりも最高に幸せだ