桑田 佳祐は、日本の男性ミュージシャン、シンガーソングライター。自身がバンドマスターを務めるサザンオールスターズの作詞・作曲・ボーカル・ギターを担当。神奈川県茅ヶ崎市出身。所属事務所はアミューズ。所属レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルはタイシタレーベル。 生年月日: 1956年2月26日
名言
諦めないで何事も。無理しないでなにもかも。人生を楽しんでいきましょう。
おれだってサザンより売れてるバンドやシンガーにはやっかみはあるよ。
自分自身を含めて日本人の男は甘いよね。
本当になにか一点に関して秀でていなくても就職できたりするし、先達が作ったものを引き継いで多少それをアレンジして生業とすれば、社会人男性という一般的な名刺をもらえちゃうもんね
原由子は炊事洗濯しながら音楽もやってるんだから。
たとえば、朝10時に食器洗って、夜の9時にはコンサートやってるわけでしょ。それを全部やっちゃうわけだから凄いよね。
ホントに彼女って人は。内心辛いこともあるんだろうけどすべてを自然に見せてしまうから偉いよ
一緒にいると幸せだけど、どっちかと別れるとか言うとすべてオシャカになっちゃうから、それは言わないでとりあえず取っといて走れるだけ走ってみよう、みたいな。それぐらいサザンていう家庭は大きいから
みんな、評論家がどこかのメディアでしゃべったり書いたりしたことを無意識に日常に持ち込んでいるのかもしれないね。
その意味では“解説の時代”なんじゃないの?スポーツでも映画でも、なんで解説が必要なんだ?って思うときがあるけど、やっぱり必要なんだよね
日本人であるかぎり、何としても日本語は最大のよりどころだもの。たくさんいる音楽評論家さんたちも、ほとんどは音楽をサウンドで語ることなく、歌詞がどうのこうのになるのは、そう考えれば仕方ないかもしれませんね
『ザ・ベストテン』で『いとしのエリー』が7週連続第1位になった。あのときは恍惚感を味わいましたね。だって、俺は勉強もできなかったしさ、街で火消しをやって表彰されたこともないからね。
そこで生まれて初めて表彰されたようなものですよ
一般の43歳男性がTシャツばかり着ていていいはずはないんだけど、逆にハクをつけるためにいい年して形から入る人間もいるでしょ? ヴェルサーチのスーツを着てロレックスの時計をするみたいなさ。それは俺にとって心の底から大笑いなのよ
好きなんです。たとえばニューヨークにいて、自分の中の京都チックな部分を思い出す。自分自身の先祖が住んでいるような、自身と他人を錯覚するような……、京都って錯覚シティーだね
レコーディングってのは、瞬間瞬間をどう生かすかが特に大切で、集中力っていうか、それがないとやっぱりダメなの。歌を作る、歌詞を作る、ってことにしても瞬間をいかにとらえるかということがあるしね
「そんなにレコーディングが好きなら、レコーディングの現場を見せてくれ」というファンもいるんだけど、それとこれとは話が別だし、言い訳してる場合じゃない。ただ、音楽小僧としてある種、等身大でいられるのはレコーディング・スタジオなんだ
やっぱり音楽やっててよかったなと思いたいですよ、ボクは。音楽やってるから映画が撮れたんだとは当然、思っているし。
だったら、そういった音楽っていうのかな、やっぱりノリですかね、そういったものがうまくその中に出ていればいいかなぁという気がするんだけどね
「ロックの概念」なんてそれ自体どうでもいいことだし、人それぞれというか幅があるんだろうけど、80年代初頭の日本は「ロックの概念」をそれこそナタを振り回しながら探していたんだね。いまは、“これはロックか否か?”的議論をしないでしょ。賢明だよ
ママ母との確執とかさ、やっぱりいろいろあったと思うんだ。俺が中学生になり、あねきが高校になり、だんだん物事の前後関係が見えるようになるにつれて、あねきを通じてうちの家庭の事情までだんだんと分かってくるというドラマ展開だったわけですな
目に見えないライバルのようなものを意識することはあったりする。あえて同世代で同じ職種の人間ということに的を絞って考えてみると、世良(公則)クンかなぁ。デビューした時期が一緒だし、デビュー後テレビ局で居合わせたときに“浮いてる”感じが似ていたしね
ステージでは俺が常に新しい情報をお届けする“サザンという番組のホストであり顔”なんだよね。そういう意味での別の人格のよるところの“演技”かもしれない。だから、サザンのライブビデオを俺は観る気にならないし、観ることができない
強い力を持ったプロダクションのタレントはあんまりワイドショーのネタにされないし、写真週刊誌を出してる出版社に貢献してる人の私事は暴露されないらしい。結局、利害関係が歴然として存在してる
中学二年の時、野球部の友達がビートルズの『アビーロード』と『Let It Be』のシングルを持って泊まりに来た。あれで人生が変わったな。『Let It Be』なんか一日で覚えちゃった。とにかく素晴らしかった
やっぱり俺としても“勝手にシンドバッド”に執着があったんだ。自分で聴いて新鮮というか、オリジナルの中では一番受けがいいだろうと思ったね。漠然と。ただあそこまで売れるとは夢々思わなかった。そこそこいけばっていうイメージしか当然なかった
恵まれすぎてるとさあ、恐いじゃない。幸せすぎて退屈みたいな。
夫はいいとこの商社に勤めてて子供も大きくなって、いいお家に住んで、リモコンでカーテンが開けられて、私全然動かなくていいみたいな、なんか不倫の第一歩っていう気がするでしょ
メロディーはすでにみんなデジャ・ヴじゃないかと思うんです。これだけ大量の情報が流れ続ければ、誰がしかが新しいメロディーを試みても、それはすでに人々の膨大な記憶のどこかにもうあるわけで、今のヒット曲じゃないかと思いますね
音楽も映画も娯楽だから、娯楽を追求するのになんで責任感持たなきゃいけねぇんだ!って思うよ
責任感強い人は、頭を切り換える時にいろいろ考えちゃってパニック起こしちゃうんだろうけど、オレは責任感弱い。芽生えない。そこら辺はジャマイカ人
俺は毎日音楽の神様に手を合わせている。それがいちばん手っ取り早い縁起担ぎかもしれないね
ボクなんかビートルズとか外国の文化にもろに影響を受けてるけど、やっぱり日本の“ワビ”“サビ”の感覚っていうのを、もっと音楽に出していきたいね。みんな日本人であることをもっと懐かしむべきだよ
おふくろの夢を見たときは、楽しいっていったらヘンだけど、なにか救われた気分になるね。失った家族に対して、どこかでやっぱり未練があるんだろうね。どんなに年を重ねても心の奥底にある弱みみたいなものがやはり夢として出てくる
エンターテイメントというのは、こうしたマヤカシとかイカサマ性を約束事として認め合っている上に成立するものなんじゃないかな。お互い阿吽の呼吸とでも言うか……。そんなことみんな分かりきってやってることじゃないか、とね
得られたものの大きさはやってみた者にしか分からないでしょ。
トライしてみないことにはどうにもこうにもね。
今でも逢いたい気持ちがいっぱい。そんな惨めな恋などしたくない。
やっぱり女って良いこと言うもん。俺以上に俺のこと見てるもん。それはすごいと思うね。
男って、女を通して世の中を見たり、自分自身を見たりするわけでさ。女ってそういう才能あるからね。うん、だから恋愛をたくさんこなしたヤツは強いよ。
「勝手にシンドバッド」とか最初の頃は、世の中的にも歌謡曲が全盛でしたので、そこと一緒にされて「サザンも歌謡だよね」と言われないよう抗っていたところがあった。
でも時代は変わり、歌謡曲という名のジャンルや文化が完全に後退したかのように思えました。
音楽をやる人たちは“アーティスト”と呼ばれる人ようになって…。
僕ら自身は“アーティスト”と呼ばれることは好きじゃないんだけど、抗う相手も以前とは違っていったんですよ。
でも、改めて僕が言うのもなんですが、サザンオールスターズのこれまでの歴史の良いところは、たとえ時代が変わり、変化が絶えなくても、常に仮想敵を見つけつつ、何かに向かっていけてることだと思うんです。久しぶりに自分で聴いて思ったけど、「01MESSENGER~電子狂の詩~」なんていうのは、まさにこれまでとは違う相手に、違う闘い方で向かっていったものですからね。
この20年で、サザンというものの裾野も広がった気もしてます。
世の中というのは理想ばかり追い求めても上手くいかないし、「仕方がないか」って、多少は目をつむらなきゃいけないこともある。だから矛盾やストレスを感じることにもなりますが、それでも自分が進むべき道を目指し、闘っている人達はいますからね。
40周年を迎え
そこにサザンオールスターズという一本の道が見えているというより、その都度その都度、突貫工事で切り抜けてきた感覚でもあるんです。
メンバー同士で助け合ったのはもちろんですが、自分達だけでやってきたわけではなく、まわりのスタッフが力になり助けてくれて。
大事なところではひょいっと抱き上げてくれたりしたし、そういう意味では、関わってくれたみんなの歴史でもあるんですよ。
苦しいこともあったし、みんなで頭を抱えて、どうしょうかー、みたいなことも、特に若い頃は、たくさんありました。
でもそういう時も、グループなんだし共同責任というか、ひとりで背負うというわけではなかった。
もちろん嬉しいことも一杯あったし、嬉しい気持ちはリフレクションするというか、メンバー同士で口に出さずとも心の奥底で反射し合うんですよね。「これはヤバいぞ」とか。
「桑田が困っているならみんなで協力し合おう」とか。
それがチームの良さですね。
最近ひとつ、僕が唱えていることがありまして、他でも言ったかもしれないですけど、
「いかに悲しく辛い時期でも音楽にはそれを乗り越える力がある」
ということなんですよ。
もちろん、こんなこと言ってられるのもサザンオールスターズを応援してくださる方々がいてくれるからですし、その幸せを感じつつの40年ですけども。