ウッチャン
内村 光良は、日本のお笑いタレント、俳優、司会者、映画監督、作家。お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンのネタ作り担当。相方は南原清隆。愛称は「ウッチャン」。熊本県人吉市出身。マセキ芸能社所属。妻は徳永有美。 生年月日: 1964年7月22日
名言
夢を追う人と諦める人、二つの男の生き方を描いている作品なのですが、どちらも自分で下した決断だから、間違いではないんです。夢を追う人はそのまま成就させてほしいけど、諦めた人も別の道でまた違う夢が見つかる。僕はそう信じています。
オレはコントができればそれでいいから
一日の中で何回も笑うような生活が好き。
まぁ、運がよかったよね。当時は今に比べてお笑いの人口も少なかったから。
辞めていったやつらのことも今まで見てきたからね。僕の事務所でも何組もいましたし。その度に頑張ってなって握手して。そういう気持ちもやっぱり思い出しました。そういうのも背負っていかなきゃって思いましたね。
夢をつかむためのコツはありきたりだけれど、努力をしながら続けること。辞めてしまったら、その時点で何もかもが終わりですから。
駆け出しの頃は、月イチで必ず新作ネタを舞台用に書くと決めていました。強引に、力技で本番2日前に絞り出したこともありますよ。ただ、だいたいおもしろくないんですよ、追い詰められた時って。やっぱり突然、ポーンと出てくるものがおもしろい。でも、必ず決めていたのは締め切りを絶対守ること、舞台に上がるからには新作をやる、同じネタはやらないということ。そうやってアイデアを出す癖をつけていけば、それは努力してるってことだから、そのうちにいいアイデアとかに巡り合えるんじゃないのかな。何もしないで〝ポーン〟は絶対にない。何かしら努力した過程で、いいアイデアに巡り合うんですよ。とはいえ、今はオリジナルのアイデアなんてそうそうない時代。俺だって見た映画がヒントになったこともいっぱいありますし。でも真似したことが、やがてオリジナルになっていく。だから真似をして、彫刻みたいに削り取って、自分なりに作っていけばいいんだと思いますよ
基本、人見知りなので、特に初対面の人には緊張して話しかけられない。人と人とのコミュニケーションなんて自分は全然長けてないんです
司会者だから、本当は本番前に演者さんに話しかけて、あっためたほうがいいじゃないですか。それがなっかなかできないんですよ、緊張しちゃって。でも本番が始まれば、仕事なんで大丈夫です(笑)。なので俺が気をつけているのは、全体の場の雰囲気づくり。トーク中やVTRを見てる時に、スタッフがインカムで言い合いをしてるのが聞こえてきたりするのがダメなんです。そういう時は収録が終わったら『もうちょっと静かにしてもらったほうがいいかな』と言うようにしてます。タレントさん、スタッフさん、お客さんを含めて、全体が和んだ空気になるようにする、というのは司会者として当然のことだと考えています
身近な人の死を経験したことも、自分の人生にも終わりがあるのだと意識するきっかけになりました。
「これやったらおもしろそうだな」を見つけられたら挑戦するべきですよ
ドラマもバラエティも視聴率が30%~40%が当たり前の時代があったんですよね。みんなが学校で、前の晩のテレビの感想を言い合っていました。一方で、いまは10%とったら御の字。もちろん、スポーツ中継は人気だし、紅白歌合戦だって大晦日の風物詩になっている。変わらないテレビの底力というのは今もあると思います。でもね、広い視野で見てみると、趣味趣向が多様化し、細分化している。ネットの普及もあるし、確かに時代はかわりつつあるなと感じています。僕もテレビの世界で長くやってきましたが、器用じゃないし、時代を先読みするのも得意ではありません。その時、その時で、手を抜かず、目の前のことを一生懸命にこなすことしかできません。
僕の場合は、これまで色々なディレクターさんやプロデューサーさんが「一緒に面白い企画をやりましょう」と言ってくださった。周りの人に恵まれたおかげで、今までなんとか生き長らえてきました。本当に、本当にラッキーだったと思っています。一番才能があったのは20代だった
季節は変わらずに何度もめぐってきますけど、人生にはいつか終わりがくる。自分も家族も、いつかは死ぬ。でも、毎日進んでいくしかないんですよね。そう思うと、これからの人生をどう生きようかを考えるようになりました。
結婚当初は、子供はいなくてもいいやって思っていたんですよ。夫婦だけの人生でもいいかなって。でも、10年前に長女が生まれると、そんな考えは消えてしまいました。
子供が生まれると世界の見え方が変わるんですよね。それまで街の景色の中で見えなかったものが、見えるようになってきたんです。子供の目線で見える世界や、世の中にはこんなにたくさん、ベビーカーを押している人が街にいるんだなあとか。
最近、児童虐待のニュースを見かけることがまた増えましたよね。なんで我が子をこんなことするんだろうって…。実は東京駅の新幹線の改札で、子供を蹴ったりとか殴ったりする保護者の姿を見かけたことがあったんです。親子の間のことですから、他人が口を出すべきではないという意見もあるかもしれません。でも、さすがに「そこまでするか」という時もありますよね。親が子供に本気の蹴りを入れているところを見かけてしまって、ずっと心にモヤモヤとして引っかかっていた。もしこういう場面をまたみかけたら、自分だったら人としてどうするべきか…。そんなことも考えました
自分にも子供ができて、いまはたくさん思い出をつくろうと頑張っています。家のテーブルを卓球台代わりにして毎日ピンポンをしたり、旅行にも行ったり…。家族の思い出って、親にも子供にも、それぞれの心に残ると思うんです。だからこそ、子供との思い出はできる限りつくってあげたい。僕がそうであったように、家族とのふれあいや、思い出の積み重ね、それがきっとその人を形づくっていくのだろうと。
家族こそが「内村光良」という人間を形づくった。この歳になって、家族をテーマにした小説を書き終えた今、そう思っています。